【コッソリ】ただいま【コソコソ】
2004年12月12日
展開はすげえ遅くなりますがやりますよ。復活させます。俺を。
最後のほう、ひどい内容だな。荒れすぎ。いつか再整理しよう。
で、予告。
もうまとめようとしても収拾つかなくなってきてるので(脳内で)、思いついたことをだらだら書きます。
次回は「0と1 今のコンピュータ:基礎っつうか常識」でGO!
無限シリーズは本当にいつまでも続けたいな、と。終わらせるのは簡単なんだけど・・・調べてるうちに面白い資料が見つかったら紹介する程度で。
乞うご期待。
最後のほう、ひどい内容だな。荒れすぎ。いつか再整理しよう。
で、予告。
もうまとめようとしても収拾つかなくなってきてるので(脳内で)、思いついたことをだらだら書きます。
次回は「0と1 今のコンピュータ:基礎っつうか常識」でGO!
無限シリーズは本当にいつまでも続けたいな、と。終わらせるのは簡単なんだけど・・・調べてるうちに面白い資料が見つかったら紹介する程度で。
乞うご期待。
すみませんウヒー
2004年10月17日数学の話も書きたいんですがコンピュータの話も書きたいんです。あと、ひも理論。
ああ悩ましい。
とか言ってるうちに1ヶ月が過ぎようとしてますね。
本当にごめんなさい。
物好きな方は見捨てず時々チェックしてくださいね(笑
ああ悩ましい。
とか言ってるうちに1ヶ月が過ぎようとしてますね。
本当にごめんなさい。
物好きな方は見捨てず時々チェックしてくださいね(笑
復活しそうな感じでGO
2004年9月21日ご無沙汰しております、灰皿です。帰って来そうな気配です。
待っててくれた奇特な方がいらっしゃったらありがとう。
のろのろと、ですが、再開しようと思ってます。
週に1回書けるかどうか、くらいのペースですが。
少しまとめてから再開します。
とりあえず宣言だけ。
待っててくれた奇特な方がいらっしゃったらありがとう。
のろのろと、ですが、再開しようと思ってます。
週に1回書けるかどうか、くらいのペースですが。
少しまとめてから再開します。
とりあえず宣言だけ。
ガダラの豚
2004年7月28日
中島らもが死にました。
あまりの衝撃に目眩が止まりません。心からご冥福を、なんて言う余裕さえありません。
なぜこの才能はこの程度の評価で留まり
なぜこの才能はこの早さで失われるのか。
後世になってやっと評価される才能は歴史上数え切れないほどあります。この才能がどれほどの評価を後々受けるのか、あるいは忘れ去られるのか、そんなことは知りませんけどね。
でも同じ時代に素晴らしいと思える才能に出会うのはやはり幸福なことで、その才能から零れ落ちたモノを見聞することはどれだけ恵まれたことなんでしょうか。
そんな機会が一つ失われました。
関係ない話でした。
あまりの衝撃に目眩が止まりません。心からご冥福を、なんて言う余裕さえありません。
なぜこの才能はこの程度の評価で留まり
なぜこの才能はこの早さで失われるのか。
後世になってやっと評価される才能は歴史上数え切れないほどあります。この才能がどれほどの評価を後々受けるのか、あるいは忘れ去られるのか、そんなことは知りませんけどね。
でも同じ時代に素晴らしいと思える才能に出会うのはやはり幸福なことで、その才能から零れ落ちたモノを見聞することはどれだけ恵まれたことなんでしょうか。
そんな機会が一つ失われました。
関係ない話でした。
ちょっと休みます
2004年7月27日個人的な理由でしばらく更新できないと思います。
楽しみにしてくれてる方がいらっしゃれば、すみません。待ってて下さい。
あまり遠くない将来に必ず復活してきます。
多分(笑
楽しみにしてくれてる方がいらっしゃれば、すみません。待ってて下さい。
あまり遠くない将来に必ず復活してきます。
多分(笑
「数の種類」最終回 「無理数はムリしすぎ」
2004年7月27日
一気にぶわーっと行っちゃいましょう。無理数のお話です。
無理数は多分中学で習いましたね。
√(ルート)っていう記号の中に数字書いたりしませんでしたか。これが多分一番最初に習った無理数だと思いませんか。今の奴だと平方根ですね。(√2)を二乗すると2になります。
同じように三乗すると2になる数とか四乗すると2になる数とか。それぞれ三乗根、四乗根と呼びます。
さて、無理数と有理数は完全に独立した関係です。無理数の中に有理数はないし、有理数の中に無理数はありません。そして全ての数は有理数と無理数の2種類に分けられます。(複素数は無視)
無理数を小数で書くと、絶対に同じパターンは出てきません。ルール無用です。だから無理数です。ルール=ことわり=理が無いから無理数なんですね。それに対して有理数という言葉が作られたと考えても良いかもしれません。
長さが1センチの正方形を描いてみましょう。
で、対角線を引いてみましょう。
その長さは何センチでしょうか?
答えは(√2)センチです。
数字として書き切れない数を、長さとして簡単に表現出来ちゃうということですね。絵はすごいですね。
さて、○○根だけが全ての無理数ではありません。
全ての方程式の答えは、(複素数を除いて)全て有理数と○○根だけで表現出来ます。こういう数の事を「代数的数」と呼びます。
で、無理数の中には「代数的数」じゃない数があるんですね。例えば0.9384928398402834098203…とか適当な数を書いてみます。書ききれないから最後は…にしましたが、実際は無限に続いていきます。この数はまず間違いなく「代数的数」ではありません。どんな方程式の答えでもない数なんです。
そういう数の事を、「超越数」と呼びます。かっこいいですよね(笑
超越数の最も有名なのは円周率でしょうね。3.1415926353…って続く例の数です。円周率の存在自体は小学校で習うはずなので、平方根よりずっと早く無理数に触れてたんですね。
余談ですが今は小学校で円周率を「3」として計算させてるらしいですね。意味ない変革だと僕は思います。
はい、これで言っておきたかった言葉は全部出ました。覚えておいて欲しい言葉は「有理数」「無理数」「代数的数」「超越数」の4つです。
最後にまとめます。
以上です!
ヤマなし!オチなし!以下略!
やめとけば良かったと後悔しながら幕を引きます、数の種類シリーズでした〜。これで無限の話に戻れますよ〜。
つまらない話が続いて本当にすみませんでした。
無理数は多分中学で習いましたね。
√(ルート)っていう記号の中に数字書いたりしませんでしたか。これが多分一番最初に習った無理数だと思いませんか。今の奴だと平方根ですね。(√2)を二乗すると2になります。
同じように三乗すると2になる数とか四乗すると2になる数とか。それぞれ三乗根、四乗根と呼びます。
さて、無理数と有理数は完全に独立した関係です。無理数の中に有理数はないし、有理数の中に無理数はありません。そして全ての数は有理数と無理数の2種類に分けられます。(複素数は無視)
無理数を小数で書くと、絶対に同じパターンは出てきません。ルール無用です。だから無理数です。ルール=ことわり=理が無いから無理数なんですね。それに対して有理数という言葉が作られたと考えても良いかもしれません。
長さが1センチの正方形を描いてみましょう。
で、対角線を引いてみましょう。
その長さは何センチでしょうか?
答えは(√2)センチです。
数字として書き切れない数を、長さとして簡単に表現出来ちゃうということですね。絵はすごいですね。
さて、○○根だけが全ての無理数ではありません。
全ての方程式の答えは、(複素数を除いて)全て有理数と○○根だけで表現出来ます。こういう数の事を「代数的数」と呼びます。
で、無理数の中には「代数的数」じゃない数があるんですね。例えば0.9384928398402834098203…とか適当な数を書いてみます。書ききれないから最後は…にしましたが、実際は無限に続いていきます。この数はまず間違いなく「代数的数」ではありません。どんな方程式の答えでもない数なんです。
そういう数の事を、「超越数」と呼びます。かっこいいですよね(笑
超越数の最も有名なのは円周率でしょうね。3.1415926353…って続く例の数です。円周率の存在自体は小学校で習うはずなので、平方根よりずっと早く無理数に触れてたんですね。
余談ですが今は小学校で円周率を「3」として計算させてるらしいですね。意味ない変革だと僕は思います。
はい、これで言っておきたかった言葉は全部出ました。覚えておいて欲しい言葉は「有理数」「無理数」「代数的数」「超越数」の4つです。
最後にまとめます。
数
|
|-有理数
| |
| |-整数
| | |
| | |-自然数
| | |-ゼロ
| | |-マイナスの数
| |
| |-分数
|
|
|-無理数(平方根とか円周率とか)
で、有理数-無理数とは別の分け方として、代数的数-超越数という分け方もあります。
以上です!
ヤマなし!オチなし!以下略!
やめとけば良かったと後悔しながら幕を引きます、数の種類シリーズでした〜。これで無限の話に戻れますよ〜。
つまらない話が続いて本当にすみませんでした。
「数の種類」パート3「小数!?」
2004年7月27日
毎度、灰皿です。小数いきましょう小数。
小数の歴史は意外と浅くて、1000年前くらいにインドからヨーロッパへ広まったとか何かで読んだ気もしますが時代は間違えてるかもしれません(笑
1.2345みたいな数字を小数と言いますね。以上です。
「小数点」というものを発明し、その下に整数を増やすのと逆の方向に数字を一桁ずつ伸ばしていくのが小数です。
循環小数というものもあります。
例えば「1÷3」を小数で書いてみると、「0.333333」といつまでも3が続きますね。同じように「9÷11」を小数で書いてみると「0.8181818181」と81が永遠に続きます。
こんな感じで同じパターンが永遠に続く小数のことを循環小数と呼びます。
「数の種類」シリーズで登場したこの小数ですが、整数とか有理数とかいう分類とは次元が違う数です。小数とはただの表現手段で、有理数とこの後出てくる無理数をまたぎます。
さて、小数と言う表現を得たことで、有理数のすごい性質が明らかになります。
全ての有理数は循環小数になるか、最後が0で終わる小数で表現されるのです。
これについても面白いエピソードがあるんですが、今ちょっと紹介する気力がありません。すみません。
そしてこの小数という表現方法を得たことにより、数学はその土台を揺るがされています。その辺は無限シリーズ後半で触れると思います。
とりあえず、「整数」「分数」「小数」という言葉は問題なく使えますよね?そして整数と分数をあわせて「有理数」といいます。復習ですよ。
ではでは、「数の種類」最終回「無理数はムリしすぎ」へ TO BE TUNED!!
ホントこのシリーズ失敗したと思います。読んでくれてる方、すみません。
小数の歴史は意外と浅くて、1000年前くらいにインドからヨーロッパへ広まったとか何かで読んだ気もしますが時代は間違えてるかもしれません(笑
1.2345みたいな数字を小数と言いますね。以上です。
「小数点」というものを発明し、その下に整数を増やすのと逆の方向に数字を一桁ずつ伸ばしていくのが小数です。
循環小数というものもあります。
例えば「1÷3」を小数で書いてみると、「0.333333」といつまでも3が続きますね。同じように「9÷11」を小数で書いてみると「0.8181818181」と81が永遠に続きます。
こんな感じで同じパターンが永遠に続く小数のことを循環小数と呼びます。
「数の種類」シリーズで登場したこの小数ですが、整数とか有理数とかいう分類とは次元が違う数です。小数とはただの表現手段で、有理数とこの後出てくる無理数をまたぎます。
さて、小数と言う表現を得たことで、有理数のすごい性質が明らかになります。
全ての有理数は循環小数になるか、最後が0で終わる小数で表現されるのです。
これについても面白いエピソードがあるんですが、今ちょっと紹介する気力がありません。すみません。
そしてこの小数という表現方法を得たことにより、数学はその土台を揺るがされています。その辺は無限シリーズ後半で触れると思います。
とりあえず、「整数」「分数」「小数」という言葉は問題なく使えますよね?そして整数と分数をあわせて「有理数」といいます。復習ですよ。
ではでは、「数の種類」最終回「無理数はムリしすぎ」へ TO BE TUNED!!
ホントこのシリーズ失敗したと思います。読んでくれてる方、すみません。
「数の種類」パート2 「分数そして有理数」
2004年7月26日
引き続き「数の種類」についてお話しをします。今回は分数のお話です。
なお、分数の書き方はPCで書くときは特殊です。「2/3」というように書きます。今のは「3分の2」です。ちょっと見慣れないかもしれませんが慣れてください(笑
さらに一応書いておきますが、「2/3」の場合、2を分子、3を分母と呼びます。上が分子、下が分母ですね。ただの呼び方の問題なのですが、呼び方を決めとくと書きやすいので覚えておいて下さい。
とか言っても分数は所詮分数なので改めて書くことも特にないですね。分数は分数です。んじゃ書きましょうか。
以上です。終わり。不親切ですが以上です(笑
分数とは、あなたがおそらく理解している分数と同じです。
ただし、僕が「分数」という時は1つルールがあります。それは「分子も分母も整数」というルールです。
で、そういう分数と、パート1で書いた整数とを合わせて、「有理数」と呼びます。
今日語るべきことは全て終わりました。
パート2で言いたかったのは、「有理数」っていう枠組みがあることを思い出しておいてね、ということです。
繰り返し書いておきましょう。
----
とりあえず、なんか難しそうな「有理数」という言葉を分解してみましょうか。
有理数、とは、「理」が「有る」「数」と分解出来ますね。では「理=ことわり」とはなんでしょうか?辞書ひいてみましょう。
なんか分かったような分からないような。
んじゃ「有理」でひいてみましょう。
道理ってなに?
なんとなく分かってきたかな。
要するに、有理数とは、「正しい筋道に乗った数」ってことなんですかね?
ちっとも説明になってないですね(笑
有理数を正しく理解するにはペアになる「無理数」について理解する必要がありそうです。それはまた今度。
ちなみに発見されている最古の分数表記は紀元前2000年位のエジプトにあったそうです。これも今度お話ししますね。
「今度」ばっかりだな、俺(笑
ちっとも面白く書けない「数の種類」シリーズ、次はパート3「小数!?」へ TO BE TUNED!!
もうホントにつまんなくてごめんなさい。心からお詫びします。
なお、分数の書き方はPCで書くときは特殊です。「2/3」というように書きます。今のは「3分の2」です。ちょっと見慣れないかもしれませんが慣れてください(笑
さらに一応書いておきますが、「2/3」の場合、2を分子、3を分母と呼びます。上が分子、下が分母ですね。ただの呼び方の問題なのですが、呼び方を決めとくと書きやすいので覚えておいて下さい。
とか言っても分数は所詮分数なので改めて書くことも特にないですね。分数は分数です。んじゃ書きましょうか。
分数は割り算の計算結果を表現した数です。
以上です。終わり。不親切ですが以上です(笑
分数とは、あなたがおそらく理解している分数と同じです。
ただし、僕が「分数」という時は1つルールがあります。それは「分子も分母も整数」というルールです。
で、そういう分数と、パート1で書いた整数とを合わせて、「有理数」と呼びます。
今日語るべきことは全て終わりました。
パート2で言いたかったのは、「有理数」っていう枠組みがあることを思い出しておいてね、ということです。
繰り返し書いておきましょう。
有理数は、分数と整数からなる数のグループですこの後ろの続く文章は僕のタワゴト、おまけみたいなもんです。
----
とりあえず、なんか難しそうな「有理数」という言葉を分解してみましょうか。
有理数、とは、「理」が「有る」「数」と分解出来ますね。では「理=ことわり」とはなんでしょうか?辞書ひいてみましょう。
(1)もっともな事。道理。条理。
(2)理由。わけ。
(3)理論。理屈。
(4)格式・礼儀にかなっていること。
なんか分かったような分からないような。
んじゃ「有理」でひいてみましょう。
道理があること
道理ってなに?
物事がそうあるべきすじみち
なんとなく分かってきたかな。
要するに、有理数とは、「正しい筋道に乗った数」ってことなんですかね?
ちっとも説明になってないですね(笑
有理数を正しく理解するにはペアになる「無理数」について理解する必要がありそうです。それはまた今度。
ちなみに発見されている最古の分数表記は紀元前2000年位のエジプトにあったそうです。これも今度お話ししますね。
「今度」ばっかりだな、俺(笑
ちっとも面白く書けない「数の種類」シリーズ、次はパート3「小数!?」へ TO BE TUNED!!
もうホントにつまんなくてごめんなさい。心からお詫びします。
リンクのあいさつ
2004年7月24日
●のぶちんさんへ
数学と哲学とが密接に関連しているのは、歴史を見れば明白だと思っています。対極にあると思われがちなこの2つの分野はお互いに必要としあっているのではないでしょうか。
と、いうわけでリンクさせていただきました。
今後のblogも楽しみにしています。
「数の種類」パート1 - 「整数と自然数」
2004年7月24日
「神は整数のみをお創りになられた。それ以外の数は全て人の手によって作られたものである。」
突拍子も無い言葉で始まりました。灰皿です、こんにちは。しばらく無限のお話をお休みして、「数の種類」について一言述べます。述べさせて頂きます。延べ続けさせて頂きます。多分面白くないと思いますが。
実はこの「数の種類」について書くのは少しためらっていました。「無限」とか平気で書くくせにね(笑)。なるべく専門的な臭いのする言葉は排除して書きたいからです。だって「有理数」とか「無理数」とか見た瞬間、「うわ、なんか難しそう」って思われそうなんだもん。今でもためらっています。もしかしたら使う必要なしで無限シリーズを続けられるかもしれません。でもそれが難しそうなんです。うう・・・。
数の種類を考えるのは、あまりに厳密で繊細な話になってしまいます。もしかしたら気楽な読み物の範囲を超えるかもしれません。
すでに超えてるかもしれませんが(笑
とにかくこのシリーズが、どうか難しくなりませんように!
ちなみにこのシリーズで出てくる言葉は「自然数」「整数」「分数」「有理数」「小数」「無理数」「代数的数」「超越数」です。「有理数」や「無理数」は、難しく感じるかもしれません。「代数的数」や「超越数」なんて言葉は、はじめて聞いた人も多いかもしれません。よければ読んでいって下さいね。難しくならないように頑張ります(笑
では説明にいきましょうか。シリーズ1回目は「自然数」と「整数」です。これは簡単ですよ。そして数の出発点です。
人間が(他の動物にも備わってるかもしれませんが)一番最初に、そして最も直感的に理解できるのは「1,2,3,4,…」という数え方ですね。これは誰も反論しないでしょう。とても自然です。誰でも物を数え始めるときは必ず1から数えるでしょう?
こういう1から始まる数の事を、とても自然な数なので「自然数」と呼びます。
そして自然数のカタマリに「0」と「マイナスの数」を加えたものを「整数」と呼びます。「…,-3,-2,-1,0,1,2,3,…」ですね。
はい、説明は以上です。
この後は僕のタワゴトなので読み流して下さいね。
自然数と整数って似たようなもんなのに、っていうか自然数は整数の一部なのに、なぜ区別されてるのでしょうか?
それはですね。
なぜかと言うとですね。
知りません(笑
言うまでもなく、自然数は整数の一部です。で、整数から自然数を取り除くと、「マイナスの数」と「0」が残りますよね。そしてこの2つの概念は(マイナスとゼロね)、現代数学=西洋数学にとって、とても新しい概念です。おそらく「整数と自然数」という概念はマイナスとゼロの発明によって、後から作られたものなんじゃないでしょうか。そして、こうやって、数の種類を作ってしまったところから、数学の悲劇は始まっていると僕は思います。詳しくは無限シリーズの最後の方で書くかもしれません。
ちなみに、マイナスの数については中学校で習いますよね?小学校の間はマイナスは扱いません。で、小学校の時に「整数」という言葉が普通に使われていたと思います。「マイナスを扱わないなら『自然数』がいいんじゃないの?」とか思う方がいるかもしれませんが(僕は思ったことがあります)、自然数に「0」は含まれませんよね。小学校ではマイナスを扱わないだけで、0を含むという点で、「整数」を扱っているんです。だから「整数」という表現で正しいんですね。0を使いますし。ただマイナスを使わないだけ、です。
「マイナスの数」については、すでに「マイナス×マイナス=マイナス」というお話で少し考えたりしましたね。
「0」についてはまだ一度も触れていませんが、間違いなく最も特別な数だと思います。円周率よりすごいと思います。機会があれば一度「0について」って書いてみたいですね。難しそうですが(笑
はぁ…。
今回はとりとめも無い上に、何も言ってないのと同じですね。
最後に冒頭に出てきた、100年くらい前のクロネッカーという数学家の言葉で締めさせて頂きます。
「神は整数のみをお創りになられた。それ以外の数は全て人の手によって作られたものである。」
ではパート2「分数そして有理数」へTO BE TUNED!!
ああ、このシリーズ面白くならなさそうだなぁ(笑
突拍子も無い言葉で始まりました。灰皿です、こんにちは。しばらく無限のお話をお休みして、「数の種類」について一言述べます。述べさせて頂きます。延べ続けさせて頂きます。多分面白くないと思いますが。
実はこの「数の種類」について書くのは少しためらっていました。「無限」とか平気で書くくせにね(笑)。なるべく専門的な臭いのする言葉は排除して書きたいからです。だって「有理数」とか「無理数」とか見た瞬間、「うわ、なんか難しそう」って思われそうなんだもん。今でもためらっています。もしかしたら使う必要なしで無限シリーズを続けられるかもしれません。でもそれが難しそうなんです。うう・・・。
数の種類を考えるのは、あまりに厳密で繊細な話になってしまいます。もしかしたら気楽な読み物の範囲を超えるかもしれません。
すでに超えてるかもしれませんが(笑
とにかくこのシリーズが、どうか難しくなりませんように!
ちなみにこのシリーズで出てくる言葉は「自然数」「整数」「分数」「有理数」「小数」「無理数」「代数的数」「超越数」です。「有理数」や「無理数」は、難しく感じるかもしれません。「代数的数」や「超越数」なんて言葉は、はじめて聞いた人も多いかもしれません。よければ読んでいって下さいね。難しくならないように頑張ります(笑
では説明にいきましょうか。シリーズ1回目は「自然数」と「整数」です。これは簡単ですよ。そして数の出発点です。
人間が(他の動物にも備わってるかもしれませんが)一番最初に、そして最も直感的に理解できるのは「1,2,3,4,…」という数え方ですね。これは誰も反論しないでしょう。とても自然です。誰でも物を数え始めるときは必ず1から数えるでしょう?
こういう1から始まる数の事を、とても自然な数なので「自然数」と呼びます。
そして自然数のカタマリに「0」と「マイナスの数」を加えたものを「整数」と呼びます。「…,-3,-2,-1,0,1,2,3,…」ですね。
はい、説明は以上です。
この後は僕のタワゴトなので読み流して下さいね。
自然数と整数って似たようなもんなのに、っていうか自然数は整数の一部なのに、なぜ区別されてるのでしょうか?
それはですね。
なぜかと言うとですね。
知りません(笑
言うまでもなく、自然数は整数の一部です。で、整数から自然数を取り除くと、「マイナスの数」と「0」が残りますよね。そしてこの2つの概念は(マイナスとゼロね)、現代数学=西洋数学にとって、とても新しい概念です。おそらく「整数と自然数」という概念はマイナスとゼロの発明によって、後から作られたものなんじゃないでしょうか。そして、こうやって、数の種類を作ってしまったところから、数学の悲劇は始まっていると僕は思います。詳しくは無限シリーズの最後の方で書くかもしれません。
ちなみに、マイナスの数については中学校で習いますよね?小学校の間はマイナスは扱いません。で、小学校の時に「整数」という言葉が普通に使われていたと思います。「マイナスを扱わないなら『自然数』がいいんじゃないの?」とか思う方がいるかもしれませんが(僕は思ったことがあります)、自然数に「0」は含まれませんよね。小学校ではマイナスを扱わないだけで、0を含むという点で、「整数」を扱っているんです。だから「整数」という表現で正しいんですね。0を使いますし。ただマイナスを使わないだけ、です。
「マイナスの数」については、すでに「マイナス×マイナス=マイナス」というお話で少し考えたりしましたね。
「0」についてはまだ一度も触れていませんが、間違いなく最も特別な数だと思います。円周率よりすごいと思います。機会があれば一度「0について」って書いてみたいですね。難しそうですが(笑
はぁ…。
今回はとりとめも無い上に、何も言ってないのと同じですね。
最後に冒頭に出てきた、100年くらい前のクロネッカーという数学家の言葉で締めさせて頂きます。
「神は整数のみをお創りになられた。それ以外の数は全て人の手によって作られたものである。」
ではパート2「分数そして有理数」へTO BE TUNED!!
ああ、このシリーズ面白くならなさそうだなぁ(笑
無限の不思議 その5 -ガリレオの狂気-
2004年7月22日
一個前ではガリレオが面白すぎたのでつい前フリが長くなっちゃいました。長いどころか前フリだけで一個書いちゃいましたね。まぁいいや。今回こそは無限ですよ〜!
「それでも地球は回る」と言い残して自宅軟禁させられることになったガリレオは、自宅で新しい本を書き始めます。「新科学対話」という本です。ちなみに異端審問を受けるはめになった本の題名は「科学対話」といいます。あ〜、もう、ガリレオかっこいい!!(笑)
とは言うものの、自分の罪(コペルニクスの説を支持したこと)を償うために、娘を尼僧にさせて父親の罪を償う詩を作り続けさせるはめになったガリレオは、流石に地動説に関することは書けません。物理の研究にしても、実験をすることが出来ないし、あちこちで行われる実験を見に行く為の旅も出来ません。
そもそも、意外なことに、ガリレオは数学教授だったのです(物理学でも天文学でもなく、数学だった!)。そしてガリレオは、自分の頭と紙とペンがあれば結果を残せる数学と哲学の世界へと旅立ちます。そして数学の分野において、決定的に重要な発見をしてしまいます。
一体何を発見したのでしょうか?
なんとガリレオは「整数の個数を数える」という狂気的なことを始めました。これはすなわち、「無限への新しい挑戦」です!
ガリレオは次のようなことを考えました。発想自体が狂ってます。なお、整数を二乗した数のことを二乗数と呼ぶことにします。「1,4,9,16,25,36,49,64,81,100,121、・・・」ですね。んじゃガリレオの疑問を紹介しましょう。
「整数の個数と、二乗数の個数はどちらが多いのだろうか?」
おそらくどっちも無限個あるでしょうね。それに上下がある!?なんてことを考えるんでしょうか、この人は。
ともかくとして、上の問題に直感的に答えるとしたら、「知るか!」もしくは「二乗数の方が大きな数が並ぶから二乗数の方が多そう」もしくは「二乗数は隙間が多いから二乗数の方が少なそう」なんて感じで結局「分からないですよ〜」ってことになりそうですね。
ガリレオの考えの凄さはここからです。(上の疑問も凄いですが)
?「整数は1,2,3,4、と、数えられる」
?「二乗数も1,2,3,4、と、数えられる」
ちょっとややこしくなってきました。説明しましょうか。
?はつまり、
1番目の整数は「1」、2番目の整数は「2」、3番目の整数は「3」、という風に、数え終わるかどうかはとりあえず置いといて、数え上げていくことが出来るということ。
?はつまり、
1番目の二乗数は「1」、2番目の二乗数は「4」、3番目の二乗数は「9」、と、やはり同様に数え上げていくことが出来るということです。
さて、無限の世界が大きなステップを踏む考えがついに!ついに!登場します!恐ろしいですよ。覚悟はいいですか。イヤならもう読まないで下さい(笑
いきますよ。
数えるという行為が同じ回数続けられるということは
ふう、ドキドキしてきました
続き書きます。
整数の個数と二乗数の個数とが等しいと結論しなければならない
え?
?
!?
なんのこと!?
どういうこと!?
改めて解説しましょう。
階段に例えましょうか。無限に相応しく(?)天国へ続く階段を二つ想像してください。どこまでもその階段は続きます。
さて、あなたは左の階段を昇ってください。僕は右の階段を昇ります。
階段を一段昇るごとに、紙に数字を書いて、段に置いていきましょう。あなたは整数を順番に書いて置いてくださいね。僕は二乗数を書いて置いていきます。
1段目。あなたは「1」を、僕は「1」を書きました。
2段目。あなたは「2」を、僕は「4」を書きました。
3段目。あなたは「3」を、僕は「9」を書きました。
4段目。あなたは「4」を、僕は「16」を書きました。
5段目。あなたは「5」を、僕は「25」を書きました。
6段目。あなたは「6」を、僕は「36」を書きました。
階段がある限り、そして僕が二乗数を計算出来る限り(笑)、2人でどこまでも階段を昇って行けますよね。僕となんか昇りたくなくても我慢してください(笑
するとどうでしょう?
あなたも僕も同じ回数だけ紙に数字を書けるじゃないですか。
と、いうことは、紙を置いた段の数は、あなたの階段でも僕の階段でも同じ数ですよね?それはどこまで繰り返しても変わりません。
つまり、「整数と二乗数の個数は同じ」ということになります。
無限マジック!としか言いようがないですね。直感的に信じられなくても「順番に考えていけば」そういう答えになるしかないじゃないですか。
直感が裏切られるのは、よくあることですよ。
重い球の方が早く落ちそうでしょう?
ガリレオ以前も以降も、無限というものに触れた数学家はほとんどいませんでした(現在は違いますが、それはまた今度)。前に書いた「収束・拡散」という考えで丸め込んで、それで数学の世界を成立させていたのです。
そこで納得せずに果敢に無限に挑戦したガリレオ。ニュートンもガウスもオイラーも見ないフリをした世界に挑んだガリレオ。
かっこよすぎます。
しかし最終的に、同じ本の中で、ガリレオはこう書きました。
「二乗数は整数よりも少なくはない」
「同数だ」と結論付けることが出来ませんでした。もしかしたら、日常的な常識が通用しない「無限の世界」に怯んでしまったのかもしれません。ガリレオの無限論はこれで終わってしまいます。実はこの結論で正しいとされていますけどね。
しかし、この「数える」という行為による考え方は、その後の無限にまつわる世界を大きく揺るがしていきます。
と、いう訳で、その6へ TO GO!!
「それでも地球は回る」と言い残して自宅軟禁させられることになったガリレオは、自宅で新しい本を書き始めます。「新科学対話」という本です。ちなみに異端審問を受けるはめになった本の題名は「科学対話」といいます。あ〜、もう、ガリレオかっこいい!!(笑)
とは言うものの、自分の罪(コペルニクスの説を支持したこと)を償うために、娘を尼僧にさせて父親の罪を償う詩を作り続けさせるはめになったガリレオは、流石に地動説に関することは書けません。物理の研究にしても、実験をすることが出来ないし、あちこちで行われる実験を見に行く為の旅も出来ません。
そもそも、意外なことに、ガリレオは数学教授だったのです(物理学でも天文学でもなく、数学だった!)。そしてガリレオは、自分の頭と紙とペンがあれば結果を残せる数学と哲学の世界へと旅立ちます。そして数学の分野において、決定的に重要な発見をしてしまいます。
一体何を発見したのでしょうか?
なんとガリレオは「整数の個数を数える」という狂気的なことを始めました。これはすなわち、「無限への新しい挑戦」です!
ガリレオは次のようなことを考えました。発想自体が狂ってます。なお、整数を二乗した数のことを二乗数と呼ぶことにします。「1,4,9,16,25,36,49,64,81,100,121、・・・」ですね。んじゃガリレオの疑問を紹介しましょう。
「整数の個数と、二乗数の個数はどちらが多いのだろうか?」
おそらくどっちも無限個あるでしょうね。それに上下がある!?なんてことを考えるんでしょうか、この人は。
ともかくとして、上の問題に直感的に答えるとしたら、「知るか!」もしくは「二乗数の方が大きな数が並ぶから二乗数の方が多そう」もしくは「二乗数は隙間が多いから二乗数の方が少なそう」なんて感じで結局「分からないですよ〜」ってことになりそうですね。
ガリレオの考えの凄さはここからです。(上の疑問も凄いですが)
?「整数は1,2,3,4、と、数えられる」
?「二乗数も1,2,3,4、と、数えられる」
ちょっとややこしくなってきました。説明しましょうか。
?はつまり、
1番目の整数は「1」、2番目の整数は「2」、3番目の整数は「3」、という風に、数え終わるかどうかはとりあえず置いといて、数え上げていくことが出来るということ。
?はつまり、
1番目の二乗数は「1」、2番目の二乗数は「4」、3番目の二乗数は「9」、と、やはり同様に数え上げていくことが出来るということです。
さて、無限の世界が大きなステップを踏む考えがついに!ついに!登場します!恐ろしいですよ。覚悟はいいですか。イヤならもう読まないで下さい(笑
いきますよ。
数えるという行為が同じ回数続けられるということは
ふう、ドキドキしてきました
続き書きます。
整数の個数と二乗数の個数とが等しいと結論しなければならない
え?
?
!?
なんのこと!?
どういうこと!?
改めて解説しましょう。
階段に例えましょうか。無限に相応しく(?)天国へ続く階段を二つ想像してください。どこまでもその階段は続きます。
さて、あなたは左の階段を昇ってください。僕は右の階段を昇ります。
階段を一段昇るごとに、紙に数字を書いて、段に置いていきましょう。あなたは整数を順番に書いて置いてくださいね。僕は二乗数を書いて置いていきます。
1段目。あなたは「1」を、僕は「1」を書きました。
2段目。あなたは「2」を、僕は「4」を書きました。
3段目。あなたは「3」を、僕は「9」を書きました。
4段目。あなたは「4」を、僕は「16」を書きました。
5段目。あなたは「5」を、僕は「25」を書きました。
6段目。あなたは「6」を、僕は「36」を書きました。
階段がある限り、そして僕が二乗数を計算出来る限り(笑)、2人でどこまでも階段を昇って行けますよね。僕となんか昇りたくなくても我慢してください(笑
するとどうでしょう?
あなたも僕も同じ回数だけ紙に数字を書けるじゃないですか。
と、いうことは、紙を置いた段の数は、あなたの階段でも僕の階段でも同じ数ですよね?それはどこまで繰り返しても変わりません。
つまり、「整数と二乗数の個数は同じ」ということになります。
無限マジック!としか言いようがないですね。直感的に信じられなくても「順番に考えていけば」そういう答えになるしかないじゃないですか。
直感が裏切られるのは、よくあることですよ。
重い球の方が早く落ちそうでしょう?
ガリレオ以前も以降も、無限というものに触れた数学家はほとんどいませんでした(現在は違いますが、それはまた今度)。前に書いた「収束・拡散」という考えで丸め込んで、それで数学の世界を成立させていたのです。
そこで納得せずに果敢に無限に挑戦したガリレオ。ニュートンもガウスもオイラーも見ないフリをした世界に挑んだガリレオ。
かっこよすぎます。
しかし最終的に、同じ本の中で、ガリレオはこう書きました。
「二乗数は整数よりも少なくはない」
「同数だ」と結論付けることが出来ませんでした。もしかしたら、日常的な常識が通用しない「無限の世界」に怯んでしまったのかもしれません。ガリレオの無限論はこれで終わってしまいます。実はこの結論で正しいとされていますけどね。
しかし、この「数える」という行為による考え方は、その後の無限にまつわる世界を大きく揺るがしていきます。
と、いう訳で、その6へ TO GO!!
無限大の不思議 その4 - 今回は無限に関係ない
2004年7月22日
この燃えてるランナーはホントいいですね(笑)でも本文に関係ないです。
無限シリーズも第4回です。前3つは全部突拍子もない話に思えたかもしれませんね。今回も突拍子ないですよ。だって無限に関係ないんだもん(笑)。じゃあ行きましょうか。
さて皆さんは「振り子の法則」というものをご存知でしょうか?振り子が揺れる時間は、小さく揺れてても大きく揺れてても同じ時間という法則ですね。振り子の等時性といいます。きっと中学の時にウトウトしながら習ったと思います。振り子には他にも面白い性質がありますが、それは機会があればいつか。
じゃあ、「落下速度と物の重さは関係がない」ていう法則は知ってますか?イタリアに、なんかふざけた感じに傾いた「ピサの斜塔」ってありますよね。何考えて傾けたんだか、昔の人は不思議ですね(笑)で、このピサの斜塔から二つの球を落として上の法則が導き出されました。「重い物の方が早く落ちそうな感じ」っていう直感を裏切る法則ですね。これもきっと中学でウトウトしながら以下同文。真空中では鳥の羽も砲丸も同じ速度で落ちますよ。
温度計は知ってますよね?「あ〜、暑いな〜、今何度よ?」とか「あ〜、寒いな〜、今何度よ?」とか、「あ〜、熱っぽいな〜、今何度よ?」とか。日常の中に普通に存在してますよね。
例えば、水の上に葉っぱが落ちても沈まずぷかぷか浮かんでたりしますよね?どうして沈まないんでしょうか?
望遠鏡ってのは知ってますよね?観光地とかなんとかタワーとかに100円入れたら3分見れたりするような、遠くが近くに見える魔法の棒ですね。あれ、僕たちは普通に「そういうもんだ」って思ってますけど、不思議ですよね。遠くが近くに見えちゃう!
さて、そろそろ本題に入りましょうか。上の例を見てある人の名前を思い出した人、中学でマジメに勉強したんですね!素晴らしい!
今日のテーマは「ガリレオ・ガリレイ」」です。
「なにーっ!?なんで無限とガリレオが関係あるんだっ!!」と思ったあなた!関係大アリなんです。でも今回のお話ではとりあえず関係ありません(笑
さて、ガリレオと無限の関係を話す前にもう少しガリレオの話をしましょうか。
今、上に書いたものは、全てガリレオの研究成果です。発明品です。ただし望遠鏡は違います(笑)望遠鏡を発明したのは別の人です。ガリレオの研究とその成果は上にあるものだけじゃないですよ〜。興味ある人は是非ゼヒ調べてみて下さい。面白いですから。で、俺に教えて下さいね(笑)でもおそらく、ガリレオと無限について書いてない文書も多いと思います。他の研究結果がすごすぎて、「数学家」としてのガリレオは影が薄いんですよね。
ところが天才はなんかもう、違う生き物なんですね。そもそも研究対象が一つの分野に留まるどころか多岐に渡り過ぎでしょう。物理天文数学人文という分野を研究し、それぞれで素晴らしい功績を残してるんですから。
例えば、望遠鏡ってものが発明されて、遠くが近くに見えるらしいという噂を聞いたガリレオは、「ああ、なるほど」って感じであっさりと原理に気付き、自分で作っちゃいました。その時国が輸入しようとしてた望遠鏡より性能がいい奴を。すごいね〜。
何キロメートルも遠くの島を歩く人の姿を手に取るように見れる望遠鏡。きっと国の偉い人たちは面白がったことでしょう。
しかしガリレオはいつしか、その望遠鏡を地上から空へ!宇宙へ!向けたのです。そこでガリレオが見たものは・・・。
土星の周りにある不思議な輪!
木星の周りをぐるぐる回る衛星!
天の川が実は星の集まりだったという事実!
「無限に続く」宇宙へ目を向けたことがガリレオと無限を結びつけたのでしょうか?なんちゃって。ロマンチックなことを言ってしまいました。
そして宇宙を観測するガリレオは大変な事実を確認してしまいます。コペルニクスが提唱した「地球を中心に世界が回ってるのではなく、他の何かを中心に地球が回っているのではないか」という説を実証してしまいました。
いい気になったガリレオはそれを本にして出版します。そして人生は狂います。「地球が中心だ」という教義を信じるキリスト教会に弾圧されてしまうのです(でも法王はガリレオに好意的だったという説もあります)。拷問を受け、ついにガリレオは自説を撤回することで釈放されます。その時に言ったとされる言葉はあまりに有名で伝説と化してますね。
「それでも地球は回る」
そしてガリレオは死ぬまで自宅に軟禁されました。ガリレオの話は、大抵これで終わります。ストーリーとして、ここで終わるととても魅力的ですからね。この名言のためにガリレオのストーリーはあったのかもしれません。
でもその後のガリレオがどうなったのか、興味ありませんか?「自説を宗教的な理由で撤回させられる」という、科学者としてとても屈辱的な(きっとそうだっただろう)経験の後、天才ガリレオは何を考えどう生きたのか?
無限シリーズとしては、ここからが本題です!
でもあまりに長くなっちゃったので、続きはまた今度!(笑
無限シリーズも第4回です。前3つは全部突拍子もない話に思えたかもしれませんね。今回も突拍子ないですよ。だって無限に関係ないんだもん(笑)。じゃあ行きましょうか。
さて皆さんは「振り子の法則」というものをご存知でしょうか?振り子が揺れる時間は、小さく揺れてても大きく揺れてても同じ時間という法則ですね。振り子の等時性といいます。きっと中学の時にウトウトしながら習ったと思います。振り子には他にも面白い性質がありますが、それは機会があればいつか。
じゃあ、「落下速度と物の重さは関係がない」ていう法則は知ってますか?イタリアに、なんかふざけた感じに傾いた「ピサの斜塔」ってありますよね。何考えて傾けたんだか、昔の人は不思議ですね(笑)で、このピサの斜塔から二つの球を落として上の法則が導き出されました。「重い物の方が早く落ちそうな感じ」っていう直感を裏切る法則ですね。これもきっと中学でウトウトしながら以下同文。真空中では鳥の羽も砲丸も同じ速度で落ちますよ。
温度計は知ってますよね?「あ〜、暑いな〜、今何度よ?」とか「あ〜、寒いな〜、今何度よ?」とか、「あ〜、熱っぽいな〜、今何度よ?」とか。日常の中に普通に存在してますよね。
例えば、水の上に葉っぱが落ちても沈まずぷかぷか浮かんでたりしますよね?どうして沈まないんでしょうか?
望遠鏡ってのは知ってますよね?観光地とかなんとかタワーとかに100円入れたら3分見れたりするような、遠くが近くに見える魔法の棒ですね。あれ、僕たちは普通に「そういうもんだ」って思ってますけど、不思議ですよね。遠くが近くに見えちゃう!
さて、そろそろ本題に入りましょうか。上の例を見てある人の名前を思い出した人、中学でマジメに勉強したんですね!素晴らしい!
今日のテーマは「ガリレオ・ガリレイ」」です。
「なにーっ!?なんで無限とガリレオが関係あるんだっ!!」と思ったあなた!関係大アリなんです。でも今回のお話ではとりあえず関係ありません(笑
さて、ガリレオと無限の関係を話す前にもう少しガリレオの話をしましょうか。
今、上に書いたものは、全てガリレオの研究成果です。発明品です。ただし望遠鏡は違います(笑)望遠鏡を発明したのは別の人です。ガリレオの研究とその成果は上にあるものだけじゃないですよ〜。興味ある人は是非ゼヒ調べてみて下さい。面白いですから。で、俺に教えて下さいね(笑)でもおそらく、ガリレオと無限について書いてない文書も多いと思います。他の研究結果がすごすぎて、「数学家」としてのガリレオは影が薄いんですよね。
ところが天才はなんかもう、違う生き物なんですね。そもそも研究対象が一つの分野に留まるどころか多岐に渡り過ぎでしょう。物理天文数学人文という分野を研究し、それぞれで素晴らしい功績を残してるんですから。
例えば、望遠鏡ってものが発明されて、遠くが近くに見えるらしいという噂を聞いたガリレオは、「ああ、なるほど」って感じであっさりと原理に気付き、自分で作っちゃいました。その時国が輸入しようとしてた望遠鏡より性能がいい奴を。すごいね〜。
何キロメートルも遠くの島を歩く人の姿を手に取るように見れる望遠鏡。きっと国の偉い人たちは面白がったことでしょう。
しかしガリレオはいつしか、その望遠鏡を地上から空へ!宇宙へ!向けたのです。そこでガリレオが見たものは・・・。
土星の周りにある不思議な輪!
木星の周りをぐるぐる回る衛星!
天の川が実は星の集まりだったという事実!
「無限に続く」宇宙へ目を向けたことがガリレオと無限を結びつけたのでしょうか?なんちゃって。ロマンチックなことを言ってしまいました。
そして宇宙を観測するガリレオは大変な事実を確認してしまいます。コペルニクスが提唱した「地球を中心に世界が回ってるのではなく、他の何かを中心に地球が回っているのではないか」という説を実証してしまいました。
いい気になったガリレオはそれを本にして出版します。そして人生は狂います。「地球が中心だ」という教義を信じるキリスト教会に弾圧されてしまうのです(でも法王はガリレオに好意的だったという説もあります)。拷問を受け、ついにガリレオは自説を撤回することで釈放されます。その時に言ったとされる言葉はあまりに有名で伝説と化してますね。
「それでも地球は回る」
そしてガリレオは死ぬまで自宅に軟禁されました。ガリレオの話は、大抵これで終わります。ストーリーとして、ここで終わるととても魅力的ですからね。この名言のためにガリレオのストーリーはあったのかもしれません。
でもその後のガリレオがどうなったのか、興味ありませんか?「自説を宗教的な理由で撤回させられる」という、科学者としてとても屈辱的な(きっとそうだっただろう)経験の後、天才ガリレオは何を考えどう生きたのか?
無限シリーズとしては、ここからが本題です!
でもあまりに長くなっちゃったので、続きはまた今度!(笑
無限大の不思議 その3 -無限小-
2004年7月20日
おひさしぶりの無限大です灰皿です。
シリーズ第3回ですよ。無限ファンの皆様お待たせしました。でも最初に言っちゃいます。失敗しました。今回のはツマンナイです。しかも気持ち悪いです。ごめんなさい。
今日も無限大のことをNと表現します。
さらに見覚えのない書き方を使います。分数の表現です。パソコンだと分数を書けないから、「2/3」みたいに書きます。2/3は「3分の2」です。
さてさて、その2で出した宿題がありましたね。「1÷N」はどうなるんでしょうか、という問題です。やってきましたか〜?やってませんね〜?(笑
今日はこれについて考えます。
割り算は分数で書けますよね。「2÷3=2/3」ですね。なので分数で考えていきます。
でもいきなり「1/N」を考えても分からないので、少しずつ小さな数を作っていきましょう。
じゃあ、分子が1で分母も1の時をスタートラインにしましょうか。
1/1 = 1
ですね。
次に分母を10にしてみましょう。
1/10 = 0.1
ですね。
同じように分母を変えて行きましょう。
1/100 = 0.01
1/1000 = 0.001
1/10000 = 0.0001
1/100000 = 0.00001
1/1000000 = 0.000001
1/10000000 = 0.0000001
1/100000000 = 0.00000001
と続きますね。これをず〜〜〜〜っと繰り返すと「1/N」が見えてきそうじゃないですか?
分数計算の結果をじっと眺めてみましょう。小数点の次に続く0の数が増えて行ってますね。
ということは、1/Nは小数点以下に0が無限に続く数なんじゃないか、と予測出来ませんか?「ウソだぁ〜?」って思う人は、上で1分母を10倍していってるのを、2倍でも3倍でも好きな数だけ増やしていってみてください。必ず0が増えていきます。
そりゃそうですよね。分母(割る数)が大きくなるほど、答えは小さくなっていきますもんね。ていうことは小数点の次に続く0が増えていく、っていうことですよね。
小数点以下に0が無限に続く数って、
0.00000000000000000000000000000000000000…
ですよね。これ0じゃないですか?
これが答えです。
ダメ?ダメですよね。答えになってないっぽいですもんね。
ところが!
なんと、エレガントじゃないですが、それが正解なんです。
これを昔の数学家達は、「0に収束する」という言い方でごまかしちゃいました。しかもそのごまかしのおかげで、数学はガンガンと発展を続けていくのです。数学が発展することは物理を中心とする他の学問に影響を与えてきました。そして今の便利な科学の世界が成立しています。
「収束」するという考え方(計算方法と言ってもいい)を持ち込むことで、世界が安定するならそれでいいんじゃない?っていうラフなスタイルが数学を支えてるんですね(笑)ごまかしも悪くないもんですね。くさいものにフタをするのも有効なんですね。
という訳で、まとめます。答えを改めて書きます。
「1÷N=0」
なんか不思議ですが、こう考えてみてはどうでしょうか?
1個のケーキをみんなで切り分けることにしました。最初は2人で食べようと思ってたんですよ。1/2ずつにしよう、と。
ところが後から後から「俺の分もくれ」って人が来ました。すると1/3、1/4、1/5、1/6、と、1人分の量が減っていきます。ものすご〜〜〜〜〜〜く人が増えちゃうと、あなたのケーキはほとんどゼロになっちゃいますね。気がつくとN人に分けることになって、あなたの分のケーキは1/Nです。食べたことにならないでしょ?だから1/Nは0に等しい、と。
これはごまかしですけどね。あなたの分のケーキは0に収束しちゃいましたよ、と(笑
最後に収束のマジックの例を書いてみましょうか。不思議ですよ。
たとえば次の式を考えてみましょう。
1 + (1/2) + (1/4) + (1/8) + (1/16) + (1/32) + (1/64) + …
分母がどんどん倍になっていく数字を足していくとどうなるのか?足し算は無限に続きます。なのにですよ、「正の数の足し算が無限に続く」のにですよ。
上の式の答えは「2」になります。
詳しい説明はいつか俺がするかもしれないし、待てない人は本屋の数学コーナーへGO。もしくは「幾何級数」をキーワードに検索してみてもいいかもしれません。
このように、数学の世界では、「無限に続く」行為の結果は正か負の無限に「拡散」しちゃうか、ある数に「収束」しちゃうかのどっちかになります。必ずなります。なるそうです。なるんですってよ。
はいはいスッキリしてませんね?それでいいんです!1/N=0なんてもんを「はいそうですか」とあっさり受け入れちゃうのは良くないと思います!
という訳で頭の中が混乱でいっぱいになりそうな無限シリーズ、不思議はまだ続きます。本当にこれは面白いのか!?
いつの日かその4へTO GO!
シリーズ第3回ですよ。無限ファンの皆様お待たせしました。でも最初に言っちゃいます。失敗しました。今回のはツマンナイです。しかも気持ち悪いです。ごめんなさい。
今日も無限大のことをNと表現します。
さらに見覚えのない書き方を使います。分数の表現です。パソコンだと分数を書けないから、「2/3」みたいに書きます。2/3は「3分の2」です。
さてさて、その2で出した宿題がありましたね。「1÷N」はどうなるんでしょうか、という問題です。やってきましたか〜?やってませんね〜?(笑
今日はこれについて考えます。
割り算は分数で書けますよね。「2÷3=2/3」ですね。なので分数で考えていきます。
でもいきなり「1/N」を考えても分からないので、少しずつ小さな数を作っていきましょう。
じゃあ、分子が1で分母も1の時をスタートラインにしましょうか。
1/1 = 1
ですね。
次に分母を10にしてみましょう。
1/10 = 0.1
ですね。
同じように分母を変えて行きましょう。
1/100 = 0.01
1/1000 = 0.001
1/10000 = 0.0001
1/100000 = 0.00001
1/1000000 = 0.000001
1/10000000 = 0.0000001
1/100000000 = 0.00000001
と続きますね。これをず〜〜〜〜っと繰り返すと「1/N」が見えてきそうじゃないですか?
分数計算の結果をじっと眺めてみましょう。小数点の次に続く0の数が増えて行ってますね。
ということは、1/Nは小数点以下に0が無限に続く数なんじゃないか、と予測出来ませんか?「ウソだぁ〜?」って思う人は、上で1分母を10倍していってるのを、2倍でも3倍でも好きな数だけ増やしていってみてください。必ず0が増えていきます。
そりゃそうですよね。分母(割る数)が大きくなるほど、答えは小さくなっていきますもんね。ていうことは小数点の次に続く0が増えていく、っていうことですよね。
小数点以下に0が無限に続く数って、
0.00000000000000000000000000000000000000…
ですよね。これ0じゃないですか?
これが答えです。
ダメ?ダメですよね。答えになってないっぽいですもんね。
ところが!
なんと、エレガントじゃないですが、それが正解なんです。
これを昔の数学家達は、「0に収束する」という言い方でごまかしちゃいました。しかもそのごまかしのおかげで、数学はガンガンと発展を続けていくのです。数学が発展することは物理を中心とする他の学問に影響を与えてきました。そして今の便利な科学の世界が成立しています。
「収束」するという考え方(計算方法と言ってもいい)を持ち込むことで、世界が安定するならそれでいいんじゃない?っていうラフなスタイルが数学を支えてるんですね(笑)ごまかしも悪くないもんですね。くさいものにフタをするのも有効なんですね。
という訳で、まとめます。答えを改めて書きます。
「1÷N=0」
なんか不思議ですが、こう考えてみてはどうでしょうか?
1個のケーキをみんなで切り分けることにしました。最初は2人で食べようと思ってたんですよ。1/2ずつにしよう、と。
ところが後から後から「俺の分もくれ」って人が来ました。すると1/3、1/4、1/5、1/6、と、1人分の量が減っていきます。ものすご〜〜〜〜〜〜く人が増えちゃうと、あなたのケーキはほとんどゼロになっちゃいますね。気がつくとN人に分けることになって、あなたの分のケーキは1/Nです。食べたことにならないでしょ?だから1/Nは0に等しい、と。
これはごまかしですけどね。あなたの分のケーキは0に収束しちゃいましたよ、と(笑
最後に収束のマジックの例を書いてみましょうか。不思議ですよ。
たとえば次の式を考えてみましょう。
1 + (1/2) + (1/4) + (1/8) + (1/16) + (1/32) + (1/64) + …
分母がどんどん倍になっていく数字を足していくとどうなるのか?足し算は無限に続きます。なのにですよ、「正の数の足し算が無限に続く」のにですよ。
上の式の答えは「2」になります。
詳しい説明はいつか俺がするかもしれないし、待てない人は本屋の数学コーナーへGO。もしくは「幾何級数」をキーワードに検索してみてもいいかもしれません。
このように、数学の世界では、「無限に続く」行為の結果は正か負の無限に「拡散」しちゃうか、ある数に「収束」しちゃうかのどっちかになります。必ずなります。なるそうです。なるんですってよ。
はいはいスッキリしてませんね?それでいいんです!1/N=0なんてもんを「はいそうですか」とあっさり受け入れちゃうのは良くないと思います!
という訳で頭の中が混乱でいっぱいになりそうな無限シリーズ、不思議はまだ続きます。本当にこれは面白いのか!?
いつの日かその4へTO GO!
ノーベル数学賞を受賞した人はいない
2004年7月18日
タイトルのような伝説を書きます。これを書こうと思った発端は、友人とのチャットでの会話でした。こんな感じ。
はいはい、今からネタにしますYOw
噂話ですからね?あんまり真に受けないで下さいね?
ではノーベル賞を簡単に説明しましょう。その昔、ノーベルさんはダイナマイトを発明して半永久的に大金が転がり込んでくる状況になりました。立派なノーベルさんはそのお金を科学や芸術や平和のために(ダイナマイトなのに!)役立てたいと思って、研究者や功労者に賞と賞金を与えようじゃないか、というところから始まっています。賞を与えるのはスウェーデンの王立アカデミーです。(ノーベルさんはスウェーデンの人ですよ)
これはいいですよね?
ではタイトルの「ノーベル数学賞を受賞した人はいません」というのはどういうことでしょうか?ファンAさんが言うような理由なんでしょうか?
もう本当にこんな高尚な理由で作った賞なのに、なんてしょうもない話なんだ、と、疑いたくなるような話を今からします。信じる信じないはお任せします。
●説その1
当時、数学界で最高級の(?)評価を受けていたレフラーという人とノーベルはなんと「恋のライバル」でした。そんな恋のライバルに自分が作った賞をもし取られることになったら不愉快だから数学賞を設立しなかった。(ちなみに結果的にはノーベルはレフラーに恋で負けたらしいです(笑))
●説その2
当時の数学界をリードしていたのはドイツでした。で、ドイツ皇帝カイザーは世界の嫌われ者だった訳です。数学賞なんか作ったら、ドイツ人に次から次へ賞を取られる事になりかねません。そしたらカイザーが喜びますね。それを嫌がって数学賞を設立しなかった。
●説その3
ノーベルは「実用的な分野」に賞を与えたく思っていたけど、数学が実用的な学問だとは思われていなかった為、アカデミーが設立しなかった。(これはノーベルの意思は関係なさそうです)
はい、以上3つの説があります。
どれもしょうもないですね〜(笑
個人的には「説その1」を強く推したいと思います。愉快なので。論拠なんてないですよ。希望です(笑
と、いうことは、「数学家は頑張って論文書いても賞を受けるという名誉には無関係なのか?かわいそう〜」というとそんなことありません。
フィールズ賞という賞があり、ノーベル賞より権威があるとさえ言われています。この賞は4年に1度しか与えられないですからね。オリンピックもサッカーワールドカップも4年に1度ですしね。ま、研究者が賞を意識して日々過ごしてるなんて思えないですが。そんなこと考える暇あったら研究してるでしょう。
てことで「ノーベル数学賞」は受賞しようがありません。そんな賞ないですから。
ちなみにありそうでないノーベル賞と言えば、天文学系の賞もないですね。あっても良さそうなものなのに。どっちにしても僕らには関係ないですけどね(笑
灰皿ファンAさん :
なるほど、じゃあ灰皿さんが解決して、ノーベル賞とっても不思議じゃないのか〜
灰皿 :
ところがノーベル賞には数学がないんだ!
灰皿ファンAさん :
わおー
灰皿:
すげ〜しょうもない理由だよ
灰皿ファンAさん :
そうなのー?もし数学があれば、しょっちゅう受賞者が出ちゃうのかな?
別の数学用の賞があるとか?それとも数学者じゃなきゃ理解できないからとか??
ネタにしてくださいYO
はいはい、今からネタにしますYOw
噂話ですからね?あんまり真に受けないで下さいね?
ではノーベル賞を簡単に説明しましょう。その昔、ノーベルさんはダイナマイトを発明して半永久的に大金が転がり込んでくる状況になりました。立派なノーベルさんはそのお金を科学や芸術や平和のために(ダイナマイトなのに!)役立てたいと思って、研究者や功労者に賞と賞金を与えようじゃないか、というところから始まっています。賞を与えるのはスウェーデンの王立アカデミーです。(ノーベルさんはスウェーデンの人ですよ)
これはいいですよね?
ではタイトルの「ノーベル数学賞を受賞した人はいません」というのはどういうことでしょうか?ファンAさんが言うような理由なんでしょうか?
もう本当にこんな高尚な理由で作った賞なのに、なんてしょうもない話なんだ、と、疑いたくなるような話を今からします。信じる信じないはお任せします。
●説その1
当時、数学界で最高級の(?)評価を受けていたレフラーという人とノーベルはなんと「恋のライバル」でした。そんな恋のライバルに自分が作った賞をもし取られることになったら不愉快だから数学賞を設立しなかった。(ちなみに結果的にはノーベルはレフラーに恋で負けたらしいです(笑))
●説その2
当時の数学界をリードしていたのはドイツでした。で、ドイツ皇帝カイザーは世界の嫌われ者だった訳です。数学賞なんか作ったら、ドイツ人に次から次へ賞を取られる事になりかねません。そしたらカイザーが喜びますね。それを嫌がって数学賞を設立しなかった。
●説その3
ノーベルは「実用的な分野」に賞を与えたく思っていたけど、数学が実用的な学問だとは思われていなかった為、アカデミーが設立しなかった。(これはノーベルの意思は関係なさそうです)
はい、以上3つの説があります。
どれもしょうもないですね〜(笑
個人的には「説その1」を強く推したいと思います。愉快なので。論拠なんてないですよ。希望です(笑
と、いうことは、「数学家は頑張って論文書いても賞を受けるという名誉には無関係なのか?かわいそう〜」というとそんなことありません。
フィールズ賞という賞があり、ノーベル賞より権威があるとさえ言われています。この賞は4年に1度しか与えられないですからね。オリンピックもサッカーワールドカップも4年に1度ですしね。ま、研究者が賞を意識して日々過ごしてるなんて思えないですが。そんなこと考える暇あったら研究してるでしょう。
てことで「ノーベル数学賞」は受賞しようがありません。そんな賞ないですから。
ちなみにありそうでないノーベル賞と言えば、天文学系の賞もないですね。あっても良さそうなものなのに。どっちにしても僕らには関係ないですけどね(笑
たしざんについて考える - 欲しいのはあなたの愛だけなのよ!
2004年7月17日
なんだか難しい話が続いてしまった気がするので、気楽な話にしましょうか。「たしざん」のお話です。あ〜、ほっとしますね。足し算、って言っても、説明することなんか何もなさそうですもんね。
1+1=2。
3+4=7。
あ〜、当たり前ですね。俺は今から何を言おうとしてるんでしょうか(笑
では、足し算をはじめて習った時の事を思い出してみましょう。きっとこんな風に言われましたね。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがりんごを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつりんごを持ってるかな?」
答えはもちろん、3+4=7ですね。言うまでもありません。
では、問題がこうなるとどうでしょうか。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがバナナを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつりんごを持ってるかな?」
はいはい、と、「3+4=7だから答えは7!」って言うと間違いですよね?これは引っ掛け問題で、答えは3。パパ意地悪しちゃいました。りんごの数はバナナをいくつもらっても変わりません。
じゃ、こう変えてみましょう。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがバナナを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつフルーツを持ってるかな?」
これだと、答えはまたも3+4=7ですね。
さて、今回のお話の鍵はもう出てますよ。鍵を無くすと悲惨ですからね、落とさないようにちゃんと握っときましょうね。その鍵は今後のお話でも使いますからね。
では、3+4から数字を無くしてみましょう。その代わりに、言葉を使います。
1個目の問題は、
(りんごの数)+(りんごの数)=(りんごの数)
ですね。
2個目の問題は、
(りんごの数)+(バナナの数)=(りんごの数)
をしようとして、この足し算は間違いだと気付きましたね。
3個目の問題は、りんごもバナナもフルーツだから、
(フルーツの数)+(フルーツの数)=(フルーツの数)
ですね。
さて、上の3つを見てみると。(同じ種類)+(同じ種類)=(同じ種類)の時しか足し算が成り立ってないですね。
これ、実は足し算の本質です。足し算とはそういうものなんです。
簡単な足し算を、あえて厳密に言葉で言いましょう。
「足し算は、同じもの同士でしか計算できず、その答えも同じものになる。つまり、同じ単位同士でしか計算出来ず、計算結果はやはり同じ単位で表される。」
数字だけ見てると分からないことですよね。でもこれが足し算の成り立ちです。「対象じゃないものを足しても意味ないよ」ってことですかね。ん〜、相変わらず文章力ないなぁ・・・。
余談ですが、3つ目の問題で「りんご・バナナ→フルーツ」へと置き換えられてますね。これは一体どういうことでしょうか?よかったら、この置き換えの意味を考えてみて下さい。「勉強」の本質へと突き進んで行けるかもしれません。
さらに余談ですが、引き算は、足し算の方向が逆に向いたもので、本質的に足し算と同じです。単位が違うもの同士は引いても意味ないよ、と。例を考えるのは宿題とします(笑
この概念を理解できてると、例えば物理のテストなんかでどんどん混乱してきて「加速度+速度」なんて式を書いたりしないですむんですよ。公式を覚えたりするのも単位中心に考えれば分かりやすくなりますしね。そんなテストなんて二度と受けることないと思いますけどね、僕は(笑)
でもこういう事を教えてくれる先生がいないから(感覚的には当然みんなが理解しててもね)算数や物理が怖くなるんじゃないか、と思ったりもします。
「で?だから?それが実生活で何の役に立つの?」とか言わないで下さいね。これは数学の世界から外へ飛び出しても成り立っちゃう理屈かもしんないですよ。
「欲しいのはあなたの愛だけなのよ!」
っていうせりふの意味が、数学的に(?)説明できちゃいますね(笑
どんなプレゼントをもらっても、それは彼女の求めるものに対して足し算にならない、と。彼女が(足して)欲しかったのは、「愛」だったんですね。彼氏ちゃんと気付いてあげないと〜(笑
なんか突っ込みどころの多い微妙なオチですが、まぁいいや(笑)
では宿題。
「100円+10ドルは計算できるの?」
どうでしょうね?一見すると単位が違うから出来なさそうですけど。答えは[HOME]のBBSか、あなたの頭の中へどうぞ(笑
それではみなさんまたいつの日か!
次はかけ算で会いましょう(本当か?
1+1=2。
3+4=7。
あ〜、当たり前ですね。俺は今から何を言おうとしてるんでしょうか(笑
では、足し算をはじめて習った時の事を思い出してみましょう。きっとこんな風に言われましたね。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがりんごを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつりんごを持ってるかな?」
答えはもちろん、3+4=7ですね。言うまでもありません。
では、問題がこうなるとどうでしょうか。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがバナナを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつりんごを持ってるかな?」
はいはい、と、「3+4=7だから答えは7!」って言うと間違いですよね?これは引っ掛け問題で、答えは3。パパ意地悪しちゃいました。りんごの数はバナナをいくつもらっても変わりません。
じゃ、こう変えてみましょう。
「太郎君はりんごを3つ持ってました。花子さんがバナナを4つ太郎君にあげました。さて、太郎君はいくつフルーツを持ってるかな?」
これだと、答えはまたも3+4=7ですね。
さて、今回のお話の鍵はもう出てますよ。鍵を無くすと悲惨ですからね、落とさないようにちゃんと握っときましょうね。その鍵は今後のお話でも使いますからね。
では、3+4から数字を無くしてみましょう。その代わりに、言葉を使います。
1個目の問題は、
(りんごの数)+(りんごの数)=(りんごの数)
ですね。
2個目の問題は、
(りんごの数)+(バナナの数)=(りんごの数)
をしようとして、この足し算は間違いだと気付きましたね。
3個目の問題は、りんごもバナナもフルーツだから、
(フルーツの数)+(フルーツの数)=(フルーツの数)
ですね。
さて、上の3つを見てみると。(同じ種類)+(同じ種類)=(同じ種類)の時しか足し算が成り立ってないですね。
これ、実は足し算の本質です。足し算とはそういうものなんです。
簡単な足し算を、あえて厳密に言葉で言いましょう。
「足し算は、同じもの同士でしか計算できず、その答えも同じものになる。つまり、同じ単位同士でしか計算出来ず、計算結果はやはり同じ単位で表される。」
数字だけ見てると分からないことですよね。でもこれが足し算の成り立ちです。「対象じゃないものを足しても意味ないよ」ってことですかね。ん〜、相変わらず文章力ないなぁ・・・。
余談ですが、3つ目の問題で「りんご・バナナ→フルーツ」へと置き換えられてますね。これは一体どういうことでしょうか?よかったら、この置き換えの意味を考えてみて下さい。「勉強」の本質へと突き進んで行けるかもしれません。
さらに余談ですが、引き算は、足し算の方向が逆に向いたもので、本質的に足し算と同じです。単位が違うもの同士は引いても意味ないよ、と。例を考えるのは宿題とします(笑
この概念を理解できてると、例えば物理のテストなんかでどんどん混乱してきて「加速度+速度」なんて式を書いたりしないですむんですよ。公式を覚えたりするのも単位中心に考えれば分かりやすくなりますしね。そんなテストなんて二度と受けることないと思いますけどね、僕は(笑)
でもこういう事を教えてくれる先生がいないから(感覚的には当然みんなが理解しててもね)算数や物理が怖くなるんじゃないか、と思ったりもします。
「で?だから?それが実生活で何の役に立つの?」とか言わないで下さいね。これは数学の世界から外へ飛び出しても成り立っちゃう理屈かもしんないですよ。
「欲しいのはあなたの愛だけなのよ!」
っていうせりふの意味が、数学的に(?)説明できちゃいますね(笑
どんなプレゼントをもらっても、それは彼女の求めるものに対して足し算にならない、と。彼女が(足して)欲しかったのは、「愛」だったんですね。彼氏ちゃんと気付いてあげないと〜(笑
なんか突っ込みどころの多い微妙なオチですが、まぁいいや(笑)
では宿題。
「100円+10ドルは計算できるの?」
どうでしょうね?一見すると単位が違うから出来なさそうですけど。答えは[HOME]のBBSか、あなたの頭の中へどうぞ(笑
それではみなさんまたいつの日か!
次はかけ算で会いましょう(本当か?
「僕は嘘を言ってます」ってホント?ウソ?
2004年7月14日
前回があまりに不完全燃焼だったのでもう一発。「パラドックス」という単語の簡単な解説しときます。
なお、読んでもらった後でも信じられないかもしれませんが、今回も数学のお話ですよ。
辞書でパラドックスと引いてみましょう。ちなみにgoo(http://www.goo.ne.jp)の辞書です。「逆説」とありました。なんですかそれは。逆説をひいてみると、「相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。また、その命題。」とあります。
あ〜、分かんない(笑
簡単に言っちゃいましょう。一般的には「一見正しいけど間違っている言葉」ってことです。数学で用いる時には「それ自体で論理的な矛盾を起こしてしまうモノ」という意味です。一言で言えば「自己矛盾」ですかね。違うかもしれません(笑
さて、タイトルの言葉。
「僕は嘘を言っています」という言葉。
この言葉自体は信じて良いのでしょうか?
問題は、この言葉が「嘘かどうか」ですね。なので、嘘かどうかの2つに場合分けして考えてみましょう。文章力ないので、少しややこしいですよ。せめて見た目のややこしさを避けるために、「僕は嘘を言っています」というせりふを「僕ウソ」と略しますね。
●「僕ウソ」が嘘の時
「嘘を言っている」という事が真実である、ということになりますね。あれ?ていうことは、「僕ウソ」がホントだということになる?これじゃ「『僕ウソ』は嘘だ」という仮定(=議論の前提)に矛盾しちゃいますね。
くじけず次の場合を考えていきましょう。
●「僕ウソ」がホントの時
これは「僕ウソ」というホントの事を言ってるということですね。ということは、嘘ついてないですよね。「僕ウソ」という言葉の内容に矛盾しちゃいます。だって嘘ついてないもん。
拙い説明で申し訳ありません。それぞれの文章の内容は理解出来たでしょうか?
2つにしか場合分けが出来なくて、そのどっちもが矛盾しちゃってますね。つまり、「僕はウソを言っています」という言葉自体が完全に自己矛盾を引き起こしていますね。
これが「パラドックス」の例です。
「僕は嘘を言っている」という言葉自体が、完全に自分で矛盾しちゃってる訳です。これをパラドックスと呼びます。
この「僕はウソを言っていない」というのは遠い昔から、ギリシャ時代かな、「クレタ人の嘘つき問題」という名前で知れ渡っている話です。
正確には「クレタ人の嘘つき問題」って少し話が違うんですけどね。しかもパラドックスになってない、という説まであったりして訳分からんです(笑)
そして数学という「世界」は、数々のパラドックスに解決法を与えて発展してきたのです。解決する度に問題が細分化されて新しいパラドックスが発生して、さらにまた・・・と繰り返されてきたみたいですね。で、僕たち常人にはナニガナニヤラという世界で、今日も数学家はウンウン唸っています、きっと(笑
もう一つ有名なパラドックスの例を書こうと思ってたんですが、ここまでが思ったより長くなっちゃったので簡単に。
韋駄天アキレスって神様がギリシャだかローマだかにいました。やたらに足が速いんですね。違ったかな(笑)アキレス腱のアキレスですよ。そのアキレスと亀とで競走をしよう、ということになりました。亀は足遅いですから、ハンデもらいました。アキレスより何メートルか先からスタートします。
パンッ!競走開始です。
足の速いアキレスは「あ!」という間に亀のスタート地点まで来ました。でもその間に亀は亀なりに先に進んでいます。アキレスは走ります。さっき亀がいた地点にたどり着きました。ところがその時、亀は亀なりにさっきよりも先に進んでいます。アキレスの前にいる訳ですね。
これがず〜っと続くと、アキレスは永遠に亀に追いつけないことになります。常識的にそんなはずないですよね?でもこの考え方だと追いつけないんですよ。
これは「ゼノンのパラドックス」という有名なパラドックスの一つで、全部で四つあります。
「そんなはずねぇ〜!」って思った哲学者を結構悩ませてきたこのパラドックスも、無限の考えの導入で数学的に解決されてるそうです。無限おそるべし。
てことはやっぱり無限のお話に戻るのか!?
次は何かな〜ではさようなら(笑
なお、読んでもらった後でも信じられないかもしれませんが、今回も数学のお話ですよ。
辞書でパラドックスと引いてみましょう。ちなみにgoo(http://www.goo.ne.jp)の辞書です。「逆説」とありました。なんですかそれは。逆説をひいてみると、「相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。また、その命題。」とあります。
あ〜、分かんない(笑
簡単に言っちゃいましょう。一般的には「一見正しいけど間違っている言葉」ってことです。数学で用いる時には「それ自体で論理的な矛盾を起こしてしまうモノ」という意味です。一言で言えば「自己矛盾」ですかね。違うかもしれません(笑
さて、タイトルの言葉。
「僕は嘘を言っています」という言葉。
この言葉自体は信じて良いのでしょうか?
問題は、この言葉が「嘘かどうか」ですね。なので、嘘かどうかの2つに場合分けして考えてみましょう。文章力ないので、少しややこしいですよ。せめて見た目のややこしさを避けるために、「僕は嘘を言っています」というせりふを「僕ウソ」と略しますね。
●「僕ウソ」が嘘の時
「嘘を言っている」という事が真実である、ということになりますね。あれ?ていうことは、「僕ウソ」がホントだということになる?これじゃ「『僕ウソ』は嘘だ」という仮定(=議論の前提)に矛盾しちゃいますね。
くじけず次の場合を考えていきましょう。
●「僕ウソ」がホントの時
これは「僕ウソ」というホントの事を言ってるということですね。ということは、嘘ついてないですよね。「僕ウソ」という言葉の内容に矛盾しちゃいます。だって嘘ついてないもん。
拙い説明で申し訳ありません。それぞれの文章の内容は理解出来たでしょうか?
2つにしか場合分けが出来なくて、そのどっちもが矛盾しちゃってますね。つまり、「僕はウソを言っています」という言葉自体が完全に自己矛盾を引き起こしていますね。
これが「パラドックス」の例です。
「僕は嘘を言っている」という言葉自体が、完全に自分で矛盾しちゃってる訳です。これをパラドックスと呼びます。
この「僕はウソを言っていない」というのは遠い昔から、ギリシャ時代かな、「クレタ人の嘘つき問題」という名前で知れ渡っている話です。
正確には「クレタ人の嘘つき問題」って少し話が違うんですけどね。しかもパラドックスになってない、という説まであったりして訳分からんです(笑)
そして数学という「世界」は、数々のパラドックスに解決法を与えて発展してきたのです。解決する度に問題が細分化されて新しいパラドックスが発生して、さらにまた・・・と繰り返されてきたみたいですね。で、僕たち常人にはナニガナニヤラという世界で、今日も数学家はウンウン唸っています、きっと(笑
もう一つ有名なパラドックスの例を書こうと思ってたんですが、ここまでが思ったより長くなっちゃったので簡単に。
韋駄天アキレスって神様がギリシャだかローマだかにいました。やたらに足が速いんですね。違ったかな(笑)アキレス腱のアキレスですよ。そのアキレスと亀とで競走をしよう、ということになりました。亀は足遅いですから、ハンデもらいました。アキレスより何メートルか先からスタートします。
パンッ!競走開始です。
足の速いアキレスは「あ!」という間に亀のスタート地点まで来ました。でもその間に亀は亀なりに先に進んでいます。アキレスは走ります。さっき亀がいた地点にたどり着きました。ところがその時、亀は亀なりにさっきよりも先に進んでいます。アキレスの前にいる訳ですね。
これがず〜っと続くと、アキレスは永遠に亀に追いつけないことになります。常識的にそんなはずないですよね?でもこの考え方だと追いつけないんですよ。
これは「ゼノンのパラドックス」という有名なパラドックスの一つで、全部で四つあります。
「そんなはずねぇ〜!」って思った哲学者を結構悩ませてきたこのパラドックスも、無限の考えの導入で数学的に解決されてるそうです。無限おそるべし。
てことはやっぱり無限のお話に戻るのか!?
次は何かな〜ではさようなら(笑
マイナスをかける、という行為とは?
2004年7月14日
以前に書いた「マイナス×マイナス=マイナス」のお話の追記です。「マイナス×マイナス=プラス」になることを素晴らしく気持ち良く解説した文章を見つけたので紹介します。スカッとした文章です。
「無限のお話」はちょっと休憩させて下さい(笑
行きますよ。
「-A」とは、Aが欠けているという意味。「-(-A)」とは、Aが欠けている状態を取り除くこと。それはつまり、Aを加えるということで、「+A」に他ならない。
見事な言い回しですよね。ポイントは「Aが欠けている状態を取り除くこと」という考え方でしょうか。
この説明だと、「A」は数字じゃなくても良さそうな感じです。すごく広く一般化された文章になっています。数字から離れた日常の行為にも応用出来そうですよね。
と、思って例を考えてるんですが、「-A」の状態と、最終的な解「Aを加える」は出ますが、「マイナスをかける」という行為の具体化が出来ません。
という訳で今回のお話は完全にタイトル負けしました。すみませんでした。期待した人や興味をもって読んでくれた人がいたら心からお詫びします。ごめんなさい。
ここでビシッ!と具体例が出れば面白くなりそうなのになぁ。惜しいなぁ。だから誰かなにか思いついたら教えて下さい(笑
ちなみにこの解説を書いたのは17世紀の数学家ウォリスという人です。この人は学校で算数を習うこともなく、いきなり2次方程式から始めて2年間の独学であれよあれよと名門大学の数学教授になっちゃったそうです。
いや〜・・・名前が残るほどの功績を残した人ってやっぱりすごいですね・・・
2年って・・・
「無限のお話」はちょっと休憩させて下さい(笑
行きますよ。
「-A」とは、Aが欠けているという意味。「-(-A)」とは、Aが欠けている状態を取り除くこと。それはつまり、Aを加えるということで、「+A」に他ならない。
見事な言い回しですよね。ポイントは「Aが欠けている状態を取り除くこと」という考え方でしょうか。
この説明だと、「A」は数字じゃなくても良さそうな感じです。すごく広く一般化された文章になっています。数字から離れた日常の行為にも応用出来そうですよね。
と、思って例を考えてるんですが、「-A」の状態と、最終的な解「Aを加える」は出ますが、「マイナスをかける」という行為の具体化が出来ません。
という訳で今回のお話は完全にタイトル負けしました。すみませんでした。期待した人や興味をもって読んでくれた人がいたら心からお詫びします。ごめんなさい。
ここでビシッ!と具体例が出れば面白くなりそうなのになぁ。惜しいなぁ。だから誰かなにか思いついたら教えて下さい(笑
ちなみにこの解説を書いたのは17世紀の数学家ウォリスという人です。この人は学校で算数を習うこともなく、いきなり2次方程式から始めて2年間の独学であれよあれよと名門大学の数学教授になっちゃったそうです。
いや〜・・・名前が残るほどの功績を残した人ってやっぱりすごいですね・・・
2年って・・・
無限大の不思議 その2
2004年7月12日
はいこんにちは、灰皿ですよ。
なんとなくサイエンスっぽい話を書き続けてる灰皿ですよ。
これからもよろしくね。
なお、今回も「N」は「∞=無限大」を表しています。
前回の「無限大の不思議 その1」では、
N×N=N
っていうのが成立するそうです、ということを紹介しました。
では他の四則演算についてはどうでしょうか?
実は他にも成立する演算があるそうです。知ってるだけ一気に書いちゃいますね。
以下、aは整数です。
N+a=N(ただしa>0)
N×a=N(ただしa>0)
Nのa乗=N(ただしa>0)
N−a=N
N÷a=N(ただしa>0)
ああ、書くの疲れた。
んじゃ一個ずつ検討してみましょうか。
●N+a=N(ただしa>0)
これは、まぁいいですね。
大きいものに正の数を足すと大きくなるんだから、∞=Nになる。
●N×a=N(ただしa>0)
これは、その1で書いた話です。
●Nのa乗=N(ただしa>0)
これも良さそうですね。
Nのa乗とは、N×N×N×N×N×…がa回繰り返されることですね。N×N=Nであることが分かってますから、これはいつまでたっても答えはNですね。
●N−a=N
●N÷a=N(ただしa>0)
この2つに「あれ?」って思ったあなた!
それでいいです!
正しい!!
どっちやねん。
さて、世界をひっくり返しに行きましょうか(笑
「あれ?」って思った人は、きっとこう考えたんですよね。
「a=Nの時、この2つの式はどうなるの?」
とても良いです!
俺もそう思います!
俺も分かりません(笑
では、とりあえず逆に考えましょう。
「aがNじゃない時にこの2式は成立するか?」
「aがNじゃない」ということは「aは表現できる(有限な)整数のうちの一つ」ということですね。
んで、一個目の式見てみましょう。
●N−a=N
無限のものからいくつか拝借しても、減ったことにはなりませんね。だって無限はいつまでたっても無限だから。
なので「N-a=N」は成り立ちます。はい、騙し完了(笑
次行ってみましょうか。
●N÷a=N(ただしa>0)
整数で割るということは、無限のものをみんなで分け合うということですね。では、あなたの分け前はいくつになるか、というのがこの式の意味ですよね。
さて、納得するの大変ですよ。割り算って一番難しいですね(笑
ここでも逆の場合を考えてみましょう。
「N÷aがNじゃない」ということは、「N÷a=bあまりc(ただしbとcは整数)」となりますね。「Nじゃない」ということは、有限な表現可能な整数ってことですね。ということは、「N÷a=bあまりc」になりますね。ちょっとややこしいけど。
「N÷a=bあまりc」なら、なんと!なななななななななんと!
「N=a×b+c」となってしまいました。
つまり、Nは有限な数で、無限大じゃないってことになっちゃいますね。これだと「N=無限大」っていうことに矛盾しちゃいますね。
だから「N÷a=N(ただしa>0)」は成り立ちます。
背理法による証明です。背理法。はいりはいりふれはいりほう♪
なんか夢見たような心地かもしれませんが、合ってるでしょ?
ちなみに、「N-a=N」の証明も、上で書いたようなインチキくさい説明じゃなく、同様に背理法で行えます。やってみて下さい。
以上で、aがNじゃない場合は検証が終わりました。
さて、なら今度はaがNの時を考えましょう。
つまり、以下の2式を考えるわけですね。
●N-N=?
●N÷N=?
先に答え言っちゃいます。
実はこの2式、表現不能です。やっちゃいけません。
なぜなら、「Nは不定な数だから」。だって、「N+a=N」なんだから、同じ「N」って表記でも表してる数は違うかもしれないんですね。
いくつか分からない数からいくつか分からない数を引いても、答えがいくつかは分かりません。
同じように、いくつか分からない数をいくつか分からない数で割っても、答えがいくつかは分かりません。
さぁいよいよインチキくさくなってきました(笑
「その2」のラストスパート行きますよ!
これはもう、数学というか算数というか、世界の決まりごとなんですね。
例えば小学校で習った割り算。小学校では数式化することはないですが、一般にこう書けますね。
「a÷b=cあまりd」
でも、割り算を習ったときに一つだけ注意されたはずです。それは中学、高校でもず〜〜っと続いてたはずです。
なんのことでしょう?「割り算する時に0で割ったらダメだよ」って約束がありましたね。そのことです。
「0で割ったらダメ」ていうのは、「現在(あるいは現代)の数学を成り立たせる為に決めておかないとあちこちで困っちゃうこと」なんです。そしてそれは大昔、(多分)4000年前から決まっていたことなんです。1+1=2というのと同じことなんです。
同様に、「N-N」「N÷N」は共に計算できない、と。答えようがない、っていうのが正解です。決まりごとなんです。
と、いうわけで、「a=Nの時、この2つの式はどうなるの?」って思った人。その突っ込みは素晴らしく鋭く美しいです!なんと、数学の限界を突っついちゃう一言だったんですね(笑
では、おさらい。というか書き足しですね。書き足したところを太字にしときます。
以下、aは整数です。
N+a=N(ただしa>0)
N×a=N(ただしa>0)
Nのa乗=N(ただしa>0)
N−a=N(ただしaはNじゃない)
N÷a=N(ただしa>0で、Nじゃない)
ふう〜、とんでもなく難しい話になってしまいましたね。
でもここで宿題。
「1÷N=?」
これが次のテーマで、実はいくつか前に書いた話をひっくり返しちゃうかもしれないお話になります。
では皆さんさようなら!(笑)
その3へきっといつか TO GO!
なんとなくサイエンスっぽい話を書き続けてる灰皿ですよ。
これからもよろしくね。
なお、今回も「N」は「∞=無限大」を表しています。
前回の「無限大の不思議 その1」では、
N×N=N
っていうのが成立するそうです、ということを紹介しました。
では他の四則演算についてはどうでしょうか?
実は他にも成立する演算があるそうです。知ってるだけ一気に書いちゃいますね。
以下、aは整数です。
N+a=N(ただしa>0)
N×a=N(ただしa>0)
Nのa乗=N(ただしa>0)
N−a=N
N÷a=N(ただしa>0)
ああ、書くの疲れた。
んじゃ一個ずつ検討してみましょうか。
●N+a=N(ただしa>0)
これは、まぁいいですね。
大きいものに正の数を足すと大きくなるんだから、∞=Nになる。
●N×a=N(ただしa>0)
これは、その1で書いた話です。
●Nのa乗=N(ただしa>0)
これも良さそうですね。
Nのa乗とは、N×N×N×N×N×…がa回繰り返されることですね。N×N=Nであることが分かってますから、これはいつまでたっても答えはNですね。
●N−a=N
●N÷a=N(ただしa>0)
この2つに「あれ?」って思ったあなた!
それでいいです!
正しい!!
どっちやねん。
さて、世界をひっくり返しに行きましょうか(笑
「あれ?」って思った人は、きっとこう考えたんですよね。
「a=Nの時、この2つの式はどうなるの?」
とても良いです!
俺もそう思います!
俺も分かりません(笑
では、とりあえず逆に考えましょう。
「aがNじゃない時にこの2式は成立するか?」
「aがNじゃない」ということは「aは表現できる(有限な)整数のうちの一つ」ということですね。
んで、一個目の式見てみましょう。
●N−a=N
無限のものからいくつか拝借しても、減ったことにはなりませんね。だって無限はいつまでたっても無限だから。
なので「N-a=N」は成り立ちます。はい、騙し完了(笑
次行ってみましょうか。
●N÷a=N(ただしa>0)
整数で割るということは、無限のものをみんなで分け合うということですね。では、あなたの分け前はいくつになるか、というのがこの式の意味ですよね。
さて、納得するの大変ですよ。割り算って一番難しいですね(笑
ここでも逆の場合を考えてみましょう。
「N÷aがNじゃない」ということは、「N÷a=bあまりc(ただしbとcは整数)」となりますね。「Nじゃない」ということは、有限な表現可能な整数ってことですね。ということは、「N÷a=bあまりc」になりますね。ちょっとややこしいけど。
「N÷a=bあまりc」なら、なんと!なななななななななんと!
「N=a×b+c」となってしまいました。
つまり、Nは有限な数で、無限大じゃないってことになっちゃいますね。これだと「N=無限大」っていうことに矛盾しちゃいますね。
だから「N÷a=N(ただしa>0)」は成り立ちます。
背理法による証明です。背理法。はいりはいりふれはいりほう♪
なんか夢見たような心地かもしれませんが、合ってるでしょ?
ちなみに、「N-a=N」の証明も、上で書いたようなインチキくさい説明じゃなく、同様に背理法で行えます。やってみて下さい。
以上で、aがNじゃない場合は検証が終わりました。
さて、なら今度はaがNの時を考えましょう。
つまり、以下の2式を考えるわけですね。
●N-N=?
●N÷N=?
先に答え言っちゃいます。
実はこの2式、表現不能です。やっちゃいけません。
なぜなら、「Nは不定な数だから」。だって、「N+a=N」なんだから、同じ「N」って表記でも表してる数は違うかもしれないんですね。
いくつか分からない数からいくつか分からない数を引いても、答えがいくつかは分かりません。
同じように、いくつか分からない数をいくつか分からない数で割っても、答えがいくつかは分かりません。
さぁいよいよインチキくさくなってきました(笑
「その2」のラストスパート行きますよ!
これはもう、数学というか算数というか、世界の決まりごとなんですね。
例えば小学校で習った割り算。小学校では数式化することはないですが、一般にこう書けますね。
「a÷b=cあまりd」
でも、割り算を習ったときに一つだけ注意されたはずです。それは中学、高校でもず〜〜っと続いてたはずです。
なんのことでしょう?「割り算する時に0で割ったらダメだよ」って約束がありましたね。そのことです。
「0で割ったらダメ」ていうのは、「現在(あるいは現代)の数学を成り立たせる為に決めておかないとあちこちで困っちゃうこと」なんです。そしてそれは大昔、(多分)4000年前から決まっていたことなんです。1+1=2というのと同じことなんです。
同様に、「N-N」「N÷N」は共に計算できない、と。答えようがない、っていうのが正解です。決まりごとなんです。
と、いうわけで、「a=Nの時、この2つの式はどうなるの?」って思った人。その突っ込みは素晴らしく鋭く美しいです!なんと、数学の限界を突っついちゃう一言だったんですね(笑
では、おさらい。というか書き足しですね。書き足したところを太字にしときます。
以下、aは整数です。
N+a=N(ただしa>0)
N×a=N(ただしa>0)
Nのa乗=N(ただしa>0)
N−a=N(ただしaはNじゃない)
N÷a=N(ただしa>0で、Nじゃない)
ふう〜、とんでもなく難しい話になってしまいましたね。
でもここで宿題。
「1÷N=?」
これが次のテーマで、実はいくつか前に書いた話をひっくり返しちゃうかもしれないお話になります。
では皆さんさようなら!(笑)
その3へきっといつか TO GO!
無限大の不思議 その1
2004年7月12日
一番難しいところにいきなり突っ込んじゃいます。
無限大の話です。
覚悟はいいですか?(笑
無限大、っていうのはなんでしょうか。
アフリカのある部族では、ものを数えるのに
「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,たくさん」
と数えるそうです。
なぜなら指の数が両手で10本しかないから。
この「たくさん」っていうのは、その部族にとっては「無限大」なんでしょうか?そうかも知れませんね。
自分の手で数えられるものが全てで、それ以上は手に負えない、と。手の上が宇宙なんですね。孫悟空ですね。
お釈迦様から飛んで逃げて「やったった〜!」って言ってると5本の塔が見えて、近づいてみたらお釈迦様の指だった、みたいな。関係ないですね。これも無限のエピソードですけどね。
現在の数学で扱われる「無限大」というのはこの延長線上にあります。
仮に「無限大」を自然数(1,2,3、と続く整数ね)とします。無限大っていちいちタイプするの面倒なので、自然数の延長線上にある「無限大」を今から「N」と書きます。「∞」でもいいんだけど、「∞」って「むげんだい」ってタイプしないとダメなんですよ(笑
また関係ないですが、「∞」の記号って、日本は左右対称ですが、ヨーロッパでは右の輪っかが大きいらしいです。なんなんでしょうね。この記号はメビウスの輪を表してるっていう説もあるし。
で、いきなりとんでもない式を書いちゃいます。
N×N=N
ありえませんよね?自然数の延長にあるものなら、九九の延長で計算できるはずですね?
例えば「3×4=12」ですよね。小2でも知ってます。
ところがこの「N×N=N」、証明されてます。だまされた気分になりますよ。ていうかだまし討ちですよ。
じゃあ今からだましますね。とてもよく使われる例えです。ちなみにこれは証明じゃありません。無限大の概念のたとえ話です。
N個のパンがあります。それを全部1個ずつ人に配りました。パンもらった人は大喜びです。おなか空いてたんでしょうね(笑
ところが他にもおなか空いてる人がいました。しかもパンもらった人と同じ数だけ。幸いなことに、まだみんなパンを食べてません。タイミングよかったですね。
さて、どうすればみんなのおなかが満たされるでしょうか?
みんなで1個のパンを半分ずつすればいいんだけど、それだと終わっちゃうから「パンを1個食べないとおなかいっぱいにならない」ということで話を進めましょう(笑
ここから少しややこしいですが、なんとかついてきて下さい。俺の文章力がいたらず読みづらいです。
パンがごっちゃにならないように、パンそれぞれに番号をつけます。はい、つけ終わりました。
では、一度パンを整理しなおしましょう。みんなから一度没収です。ボッシュート!
1番のパンを持ってた人に2番のパンを渡します。2番のパンを持ってた人には4番のパンを渡します。3番の人には6番を。4番には8番を。・・・。これを続けると、もともとパンを持ってた人には全員パンが行き渡りましたね?
さて、そうすると、「1,3,5,7,9,・・・」と、奇数番目のパンが残りました。
おお!?
奇数の数と偶数の数は同じですね。順番に交互に表れるから。
と、いうことは、後から来た人に奇数の番号がついたパンを渡せばOK!!
これでめでたくみんなにパンが渡りました。
みんなおなかいっぱいになってね♪
納得できましたか〜?
多分納得できませんね〜?(笑
んじゃだまし討ちなところを検証してみましょうか。
>N個のパンがあります。
もういきなりきついですね(笑
しょっぱなから想像できません(笑
>それを全部1個ずつ人に配りました
ていうことは、配り終わったんだよね?終わった、ってことは有限じゃん(笑
はいはい。
ということで、こんな話を得意気に始める人には上みたいな感じで突っ込んで潰しちゃいましょうね(笑
でも、N×N=Nは証明されちゃってるんだよね。うむ〜?
いきなり×Nは難しいから、とりあえず2倍してみましょう。
N×2=?
これ考えてみましょう。Nはとにかく大きい数字ですね。ていうことは2倍してもとにかく大きい数字ですね。ならやっぱり2倍しても「N」になりますね。
てことは3倍しても4倍しても5倍しても何倍しても、答えはNになりますね。
だから、「N×N=N」は成り立ちます。
本当の証明はこんなんじゃないんですが、とても書き表せませんごめんなさい。むしろ俺も理解できてません。ならこんなの書くなよ>俺。
いつの日かその2へ TO GO!!
無限大の話です。
覚悟はいいですか?(笑
無限大、っていうのはなんでしょうか。
アフリカのある部族では、ものを数えるのに
「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,たくさん」
と数えるそうです。
なぜなら指の数が両手で10本しかないから。
この「たくさん」っていうのは、その部族にとっては「無限大」なんでしょうか?そうかも知れませんね。
自分の手で数えられるものが全てで、それ以上は手に負えない、と。手の上が宇宙なんですね。孫悟空ですね。
お釈迦様から飛んで逃げて「やったった〜!」って言ってると5本の塔が見えて、近づいてみたらお釈迦様の指だった、みたいな。関係ないですね。これも無限のエピソードですけどね。
現在の数学で扱われる「無限大」というのはこの延長線上にあります。
仮に「無限大」を自然数(1,2,3、と続く整数ね)とします。無限大っていちいちタイプするの面倒なので、自然数の延長線上にある「無限大」を今から「N」と書きます。「∞」でもいいんだけど、「∞」って「むげんだい」ってタイプしないとダメなんですよ(笑
また関係ないですが、「∞」の記号って、日本は左右対称ですが、ヨーロッパでは右の輪っかが大きいらしいです。なんなんでしょうね。この記号はメビウスの輪を表してるっていう説もあるし。
で、いきなりとんでもない式を書いちゃいます。
N×N=N
ありえませんよね?自然数の延長にあるものなら、九九の延長で計算できるはずですね?
例えば「3×4=12」ですよね。小2でも知ってます。
ところがこの「N×N=N」、証明されてます。だまされた気分になりますよ。ていうかだまし討ちですよ。
じゃあ今からだましますね。とてもよく使われる例えです。ちなみにこれは証明じゃありません。無限大の概念のたとえ話です。
N個のパンがあります。それを全部1個ずつ人に配りました。パンもらった人は大喜びです。おなか空いてたんでしょうね(笑
ところが他にもおなか空いてる人がいました。しかもパンもらった人と同じ数だけ。幸いなことに、まだみんなパンを食べてません。タイミングよかったですね。
さて、どうすればみんなのおなかが満たされるでしょうか?
みんなで1個のパンを半分ずつすればいいんだけど、それだと終わっちゃうから「パンを1個食べないとおなかいっぱいにならない」ということで話を進めましょう(笑
ここから少しややこしいですが、なんとかついてきて下さい。俺の文章力がいたらず読みづらいです。
パンがごっちゃにならないように、パンそれぞれに番号をつけます。はい、つけ終わりました。
では、一度パンを整理しなおしましょう。みんなから一度没収です。ボッシュート!
1番のパンを持ってた人に2番のパンを渡します。2番のパンを持ってた人には4番のパンを渡します。3番の人には6番を。4番には8番を。・・・。これを続けると、もともとパンを持ってた人には全員パンが行き渡りましたね?
さて、そうすると、「1,3,5,7,9,・・・」と、奇数番目のパンが残りました。
おお!?
奇数の数と偶数の数は同じですね。順番に交互に表れるから。
と、いうことは、後から来た人に奇数の番号がついたパンを渡せばOK!!
これでめでたくみんなにパンが渡りました。
みんなおなかいっぱいになってね♪
納得できましたか〜?
多分納得できませんね〜?(笑
んじゃだまし討ちなところを検証してみましょうか。
>N個のパンがあります。
もういきなりきついですね(笑
しょっぱなから想像できません(笑
>それを全部1個ずつ人に配りました
ていうことは、配り終わったんだよね?終わった、ってことは有限じゃん(笑
はいはい。
ということで、こんな話を得意気に始める人には上みたいな感じで突っ込んで潰しちゃいましょうね(笑
でも、N×N=Nは証明されちゃってるんだよね。うむ〜?
いきなり×Nは難しいから、とりあえず2倍してみましょう。
N×2=?
これ考えてみましょう。Nはとにかく大きい数字ですね。ていうことは2倍してもとにかく大きい数字ですね。ならやっぱり2倍しても「N」になりますね。
てことは3倍しても4倍しても5倍しても何倍しても、答えはNになりますね。
だから、「N×N=N」は成り立ちます。
本当の証明はこんなんじゃないんですが、とても書き表せませんごめんなさい。むしろ俺も理解できてません。ならこんなの書くなよ>俺。
いつの日かその2へ TO GO!!
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