「僕は嘘を言ってます」ってホント?ウソ?
2004年7月14日
前回があまりに不完全燃焼だったのでもう一発。「パラドックス」という単語の簡単な解説しときます。
なお、読んでもらった後でも信じられないかもしれませんが、今回も数学のお話ですよ。
辞書でパラドックスと引いてみましょう。ちなみにgoo(http://www.goo.ne.jp)の辞書です。「逆説」とありました。なんですかそれは。逆説をひいてみると、「相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。また、その命題。」とあります。
あ〜、分かんない(笑
簡単に言っちゃいましょう。一般的には「一見正しいけど間違っている言葉」ってことです。数学で用いる時には「それ自体で論理的な矛盾を起こしてしまうモノ」という意味です。一言で言えば「自己矛盾」ですかね。違うかもしれません(笑
さて、タイトルの言葉。
「僕は嘘を言っています」という言葉。
この言葉自体は信じて良いのでしょうか?
問題は、この言葉が「嘘かどうか」ですね。なので、嘘かどうかの2つに場合分けして考えてみましょう。文章力ないので、少しややこしいですよ。せめて見た目のややこしさを避けるために、「僕は嘘を言っています」というせりふを「僕ウソ」と略しますね。
●「僕ウソ」が嘘の時
「嘘を言っている」という事が真実である、ということになりますね。あれ?ていうことは、「僕ウソ」がホントだということになる?これじゃ「『僕ウソ』は嘘だ」という仮定(=議論の前提)に矛盾しちゃいますね。
くじけず次の場合を考えていきましょう。
●「僕ウソ」がホントの時
これは「僕ウソ」というホントの事を言ってるということですね。ということは、嘘ついてないですよね。「僕ウソ」という言葉の内容に矛盾しちゃいます。だって嘘ついてないもん。
拙い説明で申し訳ありません。それぞれの文章の内容は理解出来たでしょうか?
2つにしか場合分けが出来なくて、そのどっちもが矛盾しちゃってますね。つまり、「僕はウソを言っています」という言葉自体が完全に自己矛盾を引き起こしていますね。
これが「パラドックス」の例です。
「僕は嘘を言っている」という言葉自体が、完全に自分で矛盾しちゃってる訳です。これをパラドックスと呼びます。
この「僕はウソを言っていない」というのは遠い昔から、ギリシャ時代かな、「クレタ人の嘘つき問題」という名前で知れ渡っている話です。
正確には「クレタ人の嘘つき問題」って少し話が違うんですけどね。しかもパラドックスになってない、という説まであったりして訳分からんです(笑)
そして数学という「世界」は、数々のパラドックスに解決法を与えて発展してきたのです。解決する度に問題が細分化されて新しいパラドックスが発生して、さらにまた・・・と繰り返されてきたみたいですね。で、僕たち常人にはナニガナニヤラという世界で、今日も数学家はウンウン唸っています、きっと(笑
もう一つ有名なパラドックスの例を書こうと思ってたんですが、ここまでが思ったより長くなっちゃったので簡単に。
韋駄天アキレスって神様がギリシャだかローマだかにいました。やたらに足が速いんですね。違ったかな(笑)アキレス腱のアキレスですよ。そのアキレスと亀とで競走をしよう、ということになりました。亀は足遅いですから、ハンデもらいました。アキレスより何メートルか先からスタートします。
パンッ!競走開始です。
足の速いアキレスは「あ!」という間に亀のスタート地点まで来ました。でもその間に亀は亀なりに先に進んでいます。アキレスは走ります。さっき亀がいた地点にたどり着きました。ところがその時、亀は亀なりにさっきよりも先に進んでいます。アキレスの前にいる訳ですね。
これがず〜っと続くと、アキレスは永遠に亀に追いつけないことになります。常識的にそんなはずないですよね?でもこの考え方だと追いつけないんですよ。
これは「ゼノンのパラドックス」という有名なパラドックスの一つで、全部で四つあります。
「そんなはずねぇ〜!」って思った哲学者を結構悩ませてきたこのパラドックスも、無限の考えの導入で数学的に解決されてるそうです。無限おそるべし。
てことはやっぱり無限のお話に戻るのか!?
次は何かな〜ではさようなら(笑
なお、読んでもらった後でも信じられないかもしれませんが、今回も数学のお話ですよ。
辞書でパラドックスと引いてみましょう。ちなみにgoo(http://www.goo.ne.jp)の辞書です。「逆説」とありました。なんですかそれは。逆説をひいてみると、「相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。また、その命題。」とあります。
あ〜、分かんない(笑
簡単に言っちゃいましょう。一般的には「一見正しいけど間違っている言葉」ってことです。数学で用いる時には「それ自体で論理的な矛盾を起こしてしまうモノ」という意味です。一言で言えば「自己矛盾」ですかね。違うかもしれません(笑
さて、タイトルの言葉。
「僕は嘘を言っています」という言葉。
この言葉自体は信じて良いのでしょうか?
問題は、この言葉が「嘘かどうか」ですね。なので、嘘かどうかの2つに場合分けして考えてみましょう。文章力ないので、少しややこしいですよ。せめて見た目のややこしさを避けるために、「僕は嘘を言っています」というせりふを「僕ウソ」と略しますね。
●「僕ウソ」が嘘の時
「嘘を言っている」という事が真実である、ということになりますね。あれ?ていうことは、「僕ウソ」がホントだということになる?これじゃ「『僕ウソ』は嘘だ」という仮定(=議論の前提)に矛盾しちゃいますね。
くじけず次の場合を考えていきましょう。
●「僕ウソ」がホントの時
これは「僕ウソ」というホントの事を言ってるということですね。ということは、嘘ついてないですよね。「僕ウソ」という言葉の内容に矛盾しちゃいます。だって嘘ついてないもん。
拙い説明で申し訳ありません。それぞれの文章の内容は理解出来たでしょうか?
2つにしか場合分けが出来なくて、そのどっちもが矛盾しちゃってますね。つまり、「僕はウソを言っています」という言葉自体が完全に自己矛盾を引き起こしていますね。
これが「パラドックス」の例です。
「僕は嘘を言っている」という言葉自体が、完全に自分で矛盾しちゃってる訳です。これをパラドックスと呼びます。
この「僕はウソを言っていない」というのは遠い昔から、ギリシャ時代かな、「クレタ人の嘘つき問題」という名前で知れ渡っている話です。
正確には「クレタ人の嘘つき問題」って少し話が違うんですけどね。しかもパラドックスになってない、という説まであったりして訳分からんです(笑)
そして数学という「世界」は、数々のパラドックスに解決法を与えて発展してきたのです。解決する度に問題が細分化されて新しいパラドックスが発生して、さらにまた・・・と繰り返されてきたみたいですね。で、僕たち常人にはナニガナニヤラという世界で、今日も数学家はウンウン唸っています、きっと(笑
もう一つ有名なパラドックスの例を書こうと思ってたんですが、ここまでが思ったより長くなっちゃったので簡単に。
韋駄天アキレスって神様がギリシャだかローマだかにいました。やたらに足が速いんですね。違ったかな(笑)アキレス腱のアキレスですよ。そのアキレスと亀とで競走をしよう、ということになりました。亀は足遅いですから、ハンデもらいました。アキレスより何メートルか先からスタートします。
パンッ!競走開始です。
足の速いアキレスは「あ!」という間に亀のスタート地点まで来ました。でもその間に亀は亀なりに先に進んでいます。アキレスは走ります。さっき亀がいた地点にたどり着きました。ところがその時、亀は亀なりにさっきよりも先に進んでいます。アキレスの前にいる訳ですね。
これがず〜っと続くと、アキレスは永遠に亀に追いつけないことになります。常識的にそんなはずないですよね?でもこの考え方だと追いつけないんですよ。
これは「ゼノンのパラドックス」という有名なパラドックスの一つで、全部で四つあります。
「そんなはずねぇ〜!」って思った哲学者を結構悩ませてきたこのパラドックスも、無限の考えの導入で数学的に解決されてるそうです。無限おそるべし。
てことはやっぱり無限のお話に戻るのか!?
次は何かな〜ではさようなら(笑
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